沖縄総立ち この日 信じていた

一筋の夫 ほれ直す 我喜屋監督の妻と娘

2010年8月22日 09時40分

 【甲子園取材班】アルプススタンドには21日、興南を指揮した我喜屋優監督(60)の家族も陣取り、優さんや選手たちの勇姿に熱い声援を送った。妻万里さん(60)と長女の里(のり)さん(33)、次女の尚(なお)さん(29)は、春夏連覇に「選手たちやその家族、支えてくれた人々のおかげ」と感謝した。

 万里さんは決勝前日の20日、我喜屋監督にメールで「青は藍より出でて、藍より青し」と送った。夫の指導の下で、たくましく成長し活躍する選手たちに「大舞台で指揮できるのも部員のおかげ」とたたえ、偉業の達成に「監督冥利(みょうり)に尽きると思う」と喜んだ。

 自宅で野球や指導の悩みや愚痴は聞いたことがないという。「常にプラス思考の人だ」という。北海道での社会人野球時代から野球一筋の生活だ。優勝監督になった夫に「ほれ直しました」とほほえんだ。

 現在、北海道富良野市に住む里さんは「お父さん、感動をありがとう」、那覇市に住む次女の尚さんは「絶対勝てると信じていた」と喜び合った。

 沖縄から応援に来た監督の長兄湖正(こまさ)さん(73)は、興南監督就任した3年前から練習に足を運び、部員全員のスナップ写真や試合中の映像を撮影してきた。「興南の野球を一生忘れないでほしい」。3年生の送別会までに1本のDVDにまとめ、贈るつもりだ。次兄盛行さん(69)も名古屋から駆け付けた。就任3年で春夏連覇を遂げ、「弟ながら感服した」と目を細めた。

「積み重ね実った」県勢初出場 甲子園の土投棄から半世紀
元首里監督 福原さん拳突き上げ

 1958年夏、県勢で初めて甲子園に出場した首里の監督で、県高野連の草創期からかかわった福原朝悦さん(81)は、優勝の瞬間、両手を突き上げた。「甲子園に出ては負け、出てはたたかれ、どうしたら強くなるか試行錯誤だった。いつか、この日が来ると信じていた。半世紀の積み重ねが実った」。58年はまだ米軍統治下で、選手たちが持ち帰った甲子園の土は防疫の問題で那覇港で捨てられた。こみ上げる思いに、何度も涙をぬぐった。

 那覇市の自宅で、新聞を広げてスコアをつけながらテレビ観戦。52年前、「足が震えた」聖地で、伸び伸びプレーする興南ナインを頼もしそうに見守った。我如古盛次主将が優勝インタビューで「県民で勝ち取った」と答えると、万感の表情でうなずいた。「(監督、選手に)ご苦労さん。おめでとうと言いたい」と目を細めた。(大門雅子)

「沖水越え」うれし涙 故栽監督の娘・志織さん

 【沖縄】「栽おじいちゃんが一番欲しかったものだよ」。元沖縄水産監督の故栽弘義さんの娘、蔵当志織さん(37)=沖縄市泡瀬=は21日、テレビ画面に映った興南・我如古盛次主将が手にした深紅の大優勝旗を指さし、一緒に観戦した子どもたちに伝えた。悲願の夏の選手権優勝を果たせず、2007年に栽さんは肺炎で死去。父の功績を越える「優勝」に複雑な思いはあったが、試合後は「父の夢が実現した。本当によかった」と涙をぬぐった。

 志織さんは、小学生の時から毎日、沖縄水産のグラウンドに足を運び、高校時には沖水マネージャーとして、1990、91年の2年連続準優勝を経験した。栽さんと同じ気持ちで野球に向き合い、「一卵性親子」を自称する。それゆえ、父の死後はうまく高校野球と向き合えなかった。

 久しぶりに観戦した興南の決勝戦でも心境は複雑だった。「夏優勝は父や沖縄の悲願。でも、興南の春夏の連覇で、父の功績も薄れるのでは…」

 しかし、逆境をはね返し、好機にたたみ込む興南の試合を見て、父の口癖だった「精神力と経験が結果を出す」を思い出した。

 栽さんが目指した沖縄球児の成長を実感した志織さんは「モヤモヤが消えて本当にうれしい。沖縄ってすごい。優勝を誇りに思います」と満足の表情を浮かべた。(新崎哲史)

有料携帯サイト「ワラモバ」では、PCサイトにはない解説記事やスポーツ速報を掲載しています。» 詳しくはこちらから
« 最新のニュースを読む

写真と動画でみるニュース [一覧する]