津波・停電も「新聞出すぞ」石巻日日新聞、手書きで発行

号外として手書きの新聞を避難所などに張った石巻日日新聞社の記者たち=9日、石巻市双葉町の同新聞社(吉川毅撮影)

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2011年4月10日 10時30分

 石巻、東松島、女川の2市1町を地盤に、約1万4千部の日刊夕刊紙を発行してきた「石巻日日(ひび)新聞」。石巻港にほど近い社屋はあの日、津波で浸水し、新聞を印刷する輪転機が動かなくなった。社員は全員無事だったが、親類が亡くなった人も。来年で創刊から100年を迎える地域の情報源は、発行停止の危機に直面した。

 だが、近江弘一社長(52)が下した判断は「新聞を出すぞ」だった。武内宏之報道部長(53)はこう説明する。「戦時中の先輩記者たちは、国の1県1紙政策で廃刊に追い込まれても、わら半紙に記事を手書きして近所に配り続けた。私たちはペンと紙さえあれば、仕事ができる。そんな原点に立ち返った」

 6人の記者が、災害対策本部のある役所や避難所で取材を続けた。携帯電話もインターネットも使えない環境で、頼れるのは人間の足。自宅が波に飲まれた新米の横井康彦記者(23)が、泥水をかきわけて現場へ向かい、同僚から取材メモを受け取って会社に届けた。

 集まった素材を基に、近江社長が水難を逃れたロール紙にフェルトペンで記事を書く。それを社員が書き写して計6部作成。3月12日から6日間、避難所やコンビニエンスストアなどに号外として掲示した。

 重視したのは生活関連情報だ。水や食べ物など物資の配布時間、入浴できる場所、再開した飲食店の営業時間。大切な誰かを探し、空腹に耐える被災者たちが隅々まで見入った。平井美智子記者(50)は「IT社会のもろさを思い知らされ、新聞の存在意義を再認識した」とかみしめる。

 同17日には会社のプリンターを関係者宅に持ち込み、A4判の新聞を印刷した。19日に電気が復旧し輪転機が使えるように。資材不足などの影響で紙面は通常の半分の4ページでの発行が続くが、震災から一日も休まず被災者へ届けている。

 「街に灯り広がる」―。1万世帯以上の通電を報じる壁新聞にそんな見出しが付いたのは、震災から6日後。いまだ多数の住民が見つからず、がれきの山が復興を妨げるが、それでも平井記者は「被災者の心の救いになるような、希望の持てるような記事を発信したい」と前を向く。

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