[私の中のウチナー・ハワイ県人の今](2)4世・和多エリックさん

エリックさんが自宅に併設したけいこ場には舞台で使う小道具があふれている=米ハワイ州ホノルル市内の自宅

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2011年8月26日 10時16分

 「とても怒っていた。戦争の歴史をなくしてはいけない。1人でも多く集まらないと」。2007年9月の宜野湾海浜公園。復帰後、最大規模となった「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に、県系4世の和多エリックさん(46)はハワイから駆け付けた。

 琉球舞踊玉城流翔節会ハワイ支部の教師。自宅に併設する道場には尊敬する先人、玉城盛重、盛義両氏の写真を飾る。「芸能を深めるためには、沖縄の歩んできた道をきちんと知らないといけない」と断言する。

 母方の曾祖父母がうるま市田場と本部町備瀬出身の県系4世。日常生活はウチナームンであふれ、三線は中学生から始めた。16歳の時、昔の話をよく聞かせてくれた1世の曾祖母カナさんが病死。カチャーシーを踊るのが好きだった曾祖母との離別で、5歳の時にかじった琉舞を本格的に習おうと決意した。

 1988年、初めて訪れた沖縄で家元の玉城節子さんから指導を受け、向学心を刺激された。90年には第1回世界のウチナーンチュ大会の関連イベントに参加。沖縄に通ううち、「故郷」への思いは深まった。

 だが、当初抱いた思いは裏切られることも増えた。30歳で県立芸術大学に県費留学。うちなーぐちをテーマに書いた論文で、担当指導者から「そんな歴史はない」と、方言礼の記述を削除するよう迫られた。「頑張ってそのまま残せたけど、とてもショックだった。なぜ沖縄の人が自分たちの歴史を隠すのか」

 フラ歴も長い和多さんはクムフラ(師匠)から「伝統を曲げては、アイデンティティーが消えてしまうよ」と諭されていた。「調べるうちに沖縄とハワイは似ていると気づいてきた。ハワイは文化復興で言葉を取り戻してきたが、沖縄はそこまでいっていない」

 沖縄でも、琉舞本来の所作が変化し、歌詞と合わなくなった踊りが踊られるようになった、と感じることもあるという。「このままでは『沖縄』は言葉だけになってしまう。沖縄の文化はだれのためにあるのか」。危機感を募らせる。「ウヤファーフジ」(先祖)という単語を好んで使う。「ハワイでも沖縄でもウトゥスイ(お年寄り)は宝でしょう。苦労してきたおじい、おばあがいて、今の私たちが生きている」。98年、ハワイの県系3世、4世仲間と作った芸能集団「御冠船(ウクヮンシン)歌舞団」で芸術監督を務め、文化継承に汗を流している。

 10月のウチナーンチュ大会に合わせ、那覇市内で3度目の沖縄公演を行う。「沖縄の若い世代と意見交換してネットワークを広げたい」(吉田伸)

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