沖縄戦で捕虜となり、米ハワイの収容所に移送されて死亡した12人の県出身者のみ霊を慰める「ハワイ捕虜沖縄出身戦没者慰霊祭」(主催・同実行委員会)が、4日午後(日本時間5日午前)、ホノルル市で開かれる。

 戦後72年にして初めての慰霊祭である。苛烈な沖縄戦を生き延びて捕虜となり、沖縄の地を再び踏むことができないまま生涯を閉じた12人は、遺骨も不明のままだ。

 12人は名前は特定されている。だが、全員の遺族と連絡が取れているわけではない。

 祖父を亡くした遺族の男性は家族4人で参列する。捕虜としてハワイに移送されたことは慰霊祭の動きが出たつい数カ月前まで知らなかった。父親は戦争のことをほとんど話さないまま5年前に死亡。「おやじの代わりに焼香をしたい」と話し、子や孫の世代に伝えたい考えだ。

 叔父が死亡した遺族の男性は慰霊祭が開かれることに「心に刺さった棘(とげ)が一つとれたような気持ち」と語り、ハワイの石を持ち帰り「魂を拾ってきたい」と語る。

 沖縄戦で捕虜となりハワイに送られたのは県出身者だけ。1945年6~7月ごろ、嘉手納町の海岸などから数回にわたって移送船で運ばれた。3千人余といわれるが、確定的ではない。

 なぜ、県出身者だけ送られたのか、なぜ、収容先がハワイだったのか、なぜ、衛生環境など移送船によって区別があったのか、肝心なことがわからない。沖縄戦における未解明のテーマの一つである。

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 慰霊祭の実現に奔走したのは実行委共同代表で読谷村の渡口彦信さん(90)。自身も元捕虜で1年半をハワイの収容所で暮らした。

 沖縄とハワイの関係者の尽力には頭の下がる思いだ。

 渡口さんは81年9月に元捕虜仲間らとハワイを訪ねたが、埋葬された場所に墓地はなく遺骨が不明になっていた。渡口さんは「魂が沖縄から離れた地でさまよっているのかと思うと胸が締め付けられる」と活動を始めた。ハワイ県系人の政治家や弁護士らの協力を得てハワイ保健局から12人の病院カルテを入手。国や県へ要請したが、これ以上の情報は得られなかった。

 ならば「せめて慰霊祭を」と2016年、「世界のウチナーンチュ大会」で沖縄を訪れたハワイ沖縄連合会幹部と、沖縄ハワイ協会の高山朝光会長(実行委共同代表)に慰霊祭の協力を求めた。

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 新しい情報も出ている。2人の墓標がハワイの米軍施設内で見つかった。ハワイ沖縄連合会が墓地の移転先などを問い合わせており、遺骨について進展する可能性がある。

 日本人戦没者の遺骨収集を「国の責務」と明記した「戦没者遺骨収集推進法」が16年4月に施行された。25年3月までを遺骨収集の「集中実施期間」としている。政府は米国と共同で戦没者の遺骨収集に乗り出す考えで米国側はハワイ州にある「戦争捕虜・戦中行方不明者捜索統合司令部」が担当部署だ。

 政府は米国と協力して、一日も早く情報収集に乗り出してもらいたい。