[我ら“うちなーんちゅ”米ロス発] 藤本節子さん

 北米沖縄県人会のイベントに取材に行くと、いつも笑顔で琉球料理を勧めてくれるのが、県人会理事でカラオケクラブの部長を務める藤本節子さん(69)だ。

北米沖縄県人会で笑顔を見せる藤本節子さん

 節子さんは現在の沖縄市の出身。ハワイ帰りの母のいとこから「若い人は沖縄に引っ込んでいないで海外に出なさい」と勧められ、ハワイ出身ロサンゼルス在住の日系アメリカ人、レイモンド藤本さんと22歳で結婚した。

 米国で長男を出産した後、1度沖縄に帰り、改めてロサンゼルスに戻ったのは1974年。小さい頃から花が好きだった節子さんは、韓国人のオーナーが経営する花屋で働き始めた。

 スキルアップのために日本人の先生についたり、カレッジに通ったりしてフラワーアレンジメントの腕を磨いた。「花屋には10年勤めた。素材をどうやってアレンジしようかと考えるのが楽しい。花屋を経営することも勧められたが、朝から晩まで店に縛られるからどこにも行けない。だから店を持つのは諦めた」。今でも県人会のイベントには、節子さんが華やかにアレンジした花が飾られる。

 花屋勤務と並行して始めたのが、故ロッキー青木氏が全米に店を広げた鉄板焼きチェーン店「ベニハナ」での仕事だ。トーランス店が営業開始した35年前から今まで働き続けているのは、節子さんとあいさつを交わすのを楽しみにしている常連客がいるからだ。節子さんのユーモア、人を楽しませたいというホスピタリティーはカラオケクラブで余すところなく発揮される。

 「理事は何かのクラブの部長を兼任しなければならない。歌ったことはなかったがカラオケクラブの部長を受けてから練習を始めて、今は声が出るようになった。演歌が好き。クラブにはシニアが多いので故郷をしのんでもらえる歌を歌うようにしている」

 クラブの集まりでは自ら歌を披露するだけでなく、節子さんが手作りした料理もテーブルに並ぶ。「セントパトリックデーでは、緑色(アイルランドの国のカラー)のゼリーにコンビーフとキャベツ、フライドチキンを作った」

 花、歌、料理とあらゆることで人々を楽しませ、喜ばせている節子さんだが、1年前、彼女自身にうれしい出来事が起こった。

 「生き別れになっていた、兄の息子の居場所が分かった。しかも私の家と通りを挟んで反対側に何十年も住んでいた」。節子さんの兄の離婚した元妻(義姉)は、息子2人を連れてアメリカ人と再婚、米国に渡った。「私と兄は年が離れていた。兄の次男のカツと最後に沖縄で会ったのは、カツが2歳、私が10代の時だった」。その後、義姉と甥(おい)との連絡は途絶えた。

 しかし昨年3月、節子さんの弟の尽力でカツさんの住所が判明した。そこは節子さんが40年近く暮らす家のすぐ近くだった。「すぐ電話した。彼は50代になり、高校の校長になっていた。県人会に遊びに来るように誘ったが、スケジュールが合わずにすぐ再会はできなかった。その後もタイミングを逃し続けている」

 近く、共通の知り合いも交えて食事をする計画もあるという。節子さんはこれから長い時間をかけて、甥との失われた50年を埋めていこうとしている。(福田恵子 ロサンゼルス通信員)