「行政の責任者として、少女の尊厳を守れなかったことを心の底からおわびしたい。本当に申し訳ありませんでした」-。1995年10月21日の県民総決起大会の冒頭、約8万5千人の参加者に頭を下げた大田昌秀さんが12日、亡くなった。92歳の誕生日

▼当時、写真部記者1年生で大会を取材していた。知事が県民に謝罪する姿に驚き、撮影もせずに手をたたいてしまったことを思い出す

▼とにかく表情のある人だった。自らの戦争体験と合わせて沖縄の歴史をひもとき、基地負担の理不尽を説く。全国に多大なインパクトを与えたのは、核心を突く言葉を発する時、ぎょろっと見開く目だ

▼基地の代理署名を拒否する大田さんに、閣僚らが来て翻意を促した。話を一通り聞くと穏やかな表情が一転、「沖縄は日本ですか」。目を見開いて反論した

▼カメラ越しに見せたのは闘う表情だけではない。伏し目がちでいらだつ顔、決断を迫られ苦渋に満ちた顔。小学生に「ドラえもんにお願いしたいものは」と聞かれ、「沖縄の人が負けないぞーと強い気持ちをいつも持てる力」。真剣な目だった

▼復帰前、大田さんは「醜い日本人」(サイマル出版会)と題した著作を世に問うた。基地を押しつけるばかりか、新基地まで造ろうとするこの国のあり方を、あの大きく見開いた目がきっと見ている。(磯野直)