「ハッピーバースデー ディア 大田先生 ハッピバースデー トゥーユー」-。大田昌秀さんは92回目の誕生日を迎えた12日昼前、入院先の那覇市内の病院で家族や琉球大学の教え子たちから歌で祝福を受けていた。歌が終わるころ、眠るように息を引き取ったたという。

配布された号外「大田昌秀元知事死去」に見入る女性=12日午後、那覇市久茂地

 看取った教え子で沖縄タイムス元記者の玉城眞幸さん(75)によると、歌を聴きながら手を強く握った大田さんは何かを伝えようとした。だが声にはならなかった。「先生にはやり残した仕事がいっぱいあった。『戦争を二度と起こさせないことが私の使命』と口癖のように言っていたから」と振り返る。

 大田さんは昨年末ごろから体調を崩して入院。前立腺にがんが見つかり闘病を続けていた。5月中旬ごろから病状が深刻となり、食事をほとんど取らなくなった。病床では「情けない」と繰り返し言い、一時的に意識がなくなった時は、「早く洞穴を探しなさい」「弾や鉄砲を兵隊に持って行きなさい」とうわごとを言ったという。「青年時代の戦争がフラッシュバックしたんだろう」と玉城さんは想像した。

 一方、10日は体調がよく、医者の了解を得て数滴のワインを飲んだ。玉城さんが、誕生日に好きだったウイスキーを飲もうと誘ったら「飲みたいね」と笑ったという。

 12日は大田さんが鉄血勤皇隊の記録をまとめた新著の出版日だった。玉城さんには「字単位の戦争をまとめたい。戦争の最もリアルな姿がある」と話していた。玉城さんは「十分すぎる仕事を世に残した。本人としては、せめて慰霊の日まで生きたかっただろうけどなあ」と残念がった。

 琉球新報社元社長の比嘉辰博さん(77)も教え子の一人だ。「ジャーナリズムの権威的存在で、多くを学ばせてもらった。ざっくばらんな人柄で、お叱りを受けたこともあるが、私たちの話も聞いてくれた」と振り返り、「お疲れさまでした」と感謝を込めた。

 「ゼミで教わったことが、私の仕事につながっている」。ひめゆり平和祈念資料館副館長の普天間朝佳(ちょうけい)さん(57)は話す。普天間さんらが開館10周年で取り組んだ特別展をきっかけとした資料集「沖縄戦の全学徒隊」について「大田先生は講演やご自分の本にも参考にされていたようだ。先生の跡を継いだ仕事をいつも見ていてくださったのではないか」と語った。