2017年(平成29年) 8月21日

1935沖縄 よみがえる古里

【糸満の家並み(下)】焼けた故郷 思う校歌

 ことし、創立134年の糸満小学校の校歌は

糸満市糸満の中心部、標高約20メートルの丘、山巓毛(さんてぃんもう)から南西方面を見た1935年の眺望。奥の島影は市名城の拝所・エージナ島。手前には赤瓦の建物が軒を連ねているが沖縄戦で破壊され、戦後は糸満ロータリーになった

1934年発行の「五十周年記念誌 糸満尋常高等小学校」複写本にある校歌。現在の糸満小にも歌い継がれている。1番に「新興の町」とあり、町の発展ぶりがうかがえる(糸満市立中央図書館所蔵)

糸満市糸満の中心部、標高約20メートルの丘、山巓毛(さんてぃんもう)から南西方面を見た1935年の眺望。奥の島影は市名城の拝所・エージナ島。手前には赤瓦の建物が軒を連ねているが沖縄戦で破壊され、戦後は糸満ロータリーになった 1934年発行の「五十周年記念誌 糸満尋常高等小学校」複写本にある校歌。現在の糸満小にも歌い継がれている。1番に「新興の町」とあり、町の発展ぶりがうかがえる(糸満市立中央図書館所蔵)

 「大洋の波 いそを打つ

 ときわの島の 南端に 

赤きいらかを つらねたる

 しんこうのまち わが故郷」

 という歌詞の1番で始まる。

 朝日新聞大阪本社で見つかった写真群が撮影された前年、1934年発行の同校「創立五十周年記念誌」に掲載され、今も歌い継がれる。

 歌詞で出てくる「南端」に当たる風景が糸満市中心部、標高約20メートルの山巓毛(さんてぃんもう)から南西、同市名城のエージナ島を望む写真の眺望だ。

 宮城夏枝さん(88)=同市糸満=の赤瓦ぶきの実家もこの地域の一角にあり、母が菓子店を営んでいた。日が暮れると家の前の幅4、5メートルの道に街灯がともった。

 写真には立派な2階建ての建物や電柱なども写っている。

 「晩ご飯の後、多い時は20人くらいの子どもが集まった。母が翌日の準備を終える午後10時ごろまで遊んだ」と思い出す。幼少期を過ごしたその町は、10年後の沖縄戦で破壊されたが、歌詞の中にその情景が残っている。

 宮城さんは「(今は大人になった)孫が糸満小に入った時は、お風呂で一緒に歌っていた」と笑顔を浮かべ、「赤きいらかを つらねたる~」と校歌を口ずさんだ。古里の面影は、心の中に鮮明に焼き付いている。(「1935沖縄」取材班、堀川幸太郎)

 掲載写真について、情報をお寄せください。電話098(860)3553、メールはokinawa1935@okinawatimes.co.jp

写真集「沖縄1935」発売

 戦火に包まれる前の沖縄がよみがえります。待望の写真集が朝日新聞出版社から全国販売。「糸満」「那覇」「久高島」「古謝」と地域ごとに章立てされ、82年前の人々の生き生きとした様子が鮮明なモノクロ写真で紹介されています。

 ■朝日新聞出版社

 ■A4判変型

 ■1,800円(税抜)

  全国の書店のほか、大手通販サイトamazon等でも購入できます。

写真集 沖縄1935
写真集 沖縄1935
posted with amazlet at 17.08.08

朝日新聞出版 (2017-07-31)
売り上げランキング: 550

あわせて読みたい

関連リンク

1935沖縄 よみがえる古里のバックナンバー

連載

アクセスランキング

ニュース 解説・コラム
24時間 1週間
24時間 1週間