大阪朝日新聞の1935年当時のメモで「西洋風の建物」と説明されている1枚は旧糸満警察署を写したものだ。

戦前の糸満警察署。糸満市糸満の中心部の丘、山巓毛近くにあった。写真左側に外勤警官の詰め所などになった木造瓦ぶき平屋が見える。画面にはないが、右には墓地がある。署があった一帯は現在、公園になっている(写真は朝日新聞社提供)

今も残る旧糸満警察署の土台部分を見る金城光栄さん。1935年の写真を見ながら「この上に掲示板があった」と話した=9日、糸満市糸満

戦前の糸満警察署。糸満市糸満の中心部の丘、山巓毛近くにあった。写真左側に外勤警官の詰め所などになった木造瓦ぶき平屋が見える。画面にはないが、右には墓地がある。署があった一帯は現在、公園になっている(写真は朝日新聞社提供) 今も残る旧糸満警察署の土台部分を見る金城光栄さん。1935年の写真を見ながら「この上に掲示板があった」と話した=9日、糸満市糸満

 金城健さん(84)=糸満市糸満=には、ほろ苦い思い出がある。

 39年、日中関係の悪化を受け、近代的な建築が並ぶシンガポールから両親の故郷、旧糸満町に戻った。実家はかやぶきで「みすぼらしく思えて、嫌だとぐずった。近所の糸満署に住むと言い張って親を困らせた」と笑う。

 幼い子どもの目に立派に映った旧糸満署は、県警の資料によると30年にできた「鉄筋コンクリート及び木造瓦ぶき2階建て」だった。

 「実際は木造は平屋だった」と金城光栄さん(88)=同=は証言する。光栄さんは戦前、署の近くの丘、山巓毛(さんてぃんもう)で敵機監視に当たり、米軍上陸後の45年4月からは少年警察として署に出入りした。

 光栄さんによると、鉄筋コンクリートの1階に署長室や係長の机があり、2階は武道場や刑事の取調室だった。木造平屋は酔っ払いの保護室や留置場、外勤警官の詰め所があった。署員は約40人。

 43年か44年ごろ、裏に武道場が新たに建った。光栄さんは「事件は少なかったが、訓練の必要が高まったから建てたと聞いた。徴兵で署員は減ったのに、いま思えば場当たり的な考えだと思う」。45年には署のそばに防空壕も掘られた。

 建物は戦後も残り、米軍政地区事務所と町役場となった後、46年から再び警察署として使われた。78年に署が現在の同市西崎町に移った後、79年春には取り壊された。(「1935沖縄」取材班・堀川幸太郎)

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