きょう31日、伊良部島と宮古島をつなぐ伊良部大橋が開通する。伊良部村時代の1974年に建設へ向けた要請を始めてから40年余り、約9年の工期と400億円近い事業費をかけて3540メートルの「海の道」が完成した。

 伊良部島や宮古島には開通を祝うたくさんののぼりがはためき、記念切手が発売され、いくつものイベントが開かれるなど、喜びに沸いている。当日は大橋を歩く渡り初めの後、午後4時から一般車の通行が可能となる。

 突然の病気、通勤や通学、農・海産物の輸送など、生活の不便と不安が身に染みる島の人々にとって、対岸と陸続きになる離島架橋は代々抱き続けた夢である。 

 架橋実現を目指し、機運を盛り上げる爬龍(はりゅう)船レースを仕掛けてきた伊良部商工会の大浦貞治会長(62)は、国や県への要請活動の経過をまとめた長い年表を手に「生きているうちは無理だと思っていた。夢のよう」と語った。

 大浦さんが学生のころ、島には高校がなく、下宿を伴う進学は家計の大きな負担だった。成績がよくても高校を諦めて、中学の卒業式を待たず南方カツオ漁へと出た友人が何人もいる。 

 中でも一番の「しまちゃび(離島苦)」は島の診療所では手に負えない救急患者の搬送だ。大浦さんも長男が生まれる時、海が荒れて船が欠航したため、拝み倒して漁船を出してもらった経験がある。

 「知っているだけでも3人、船で子どもが誕生した」

    ■    ■

 沖縄は全国でも有数の島しょ県で、39の有人離島に13万人余りが暮らしている。

 沖縄振興特別措置法に基づく振興策推進の理由の一つが、本土から遠隔にあり、広大な海域に多数の離島が点在している地理的事情だ。

 離島の生活環境改善や産業振興を図るため架橋建設は県政の重要課題でもあった。72年にできた平安座島と宮城島を結ぶ桃原橋から数えると、伊良部大橋は21橋目となる。

 架橋整備により島の生活はどう変わったのか。

 「救急車が家の前まで来てくれる」「通勤・通学の時間が短縮された」など医療や教育へのアクセス改善をメリットに挙げる人が多い。

 一方で過疎化に歯止めをかけることは難しく、投資効果が指摘されることもある。共同体機能の縮小など島社会の変容を心配する声も少なくない。

    ■    ■

 宮古島市を構成する池間島と来間島は、すでに大橋で宮古島とつながる。下地島と伊良部島の間にも橋がかかる。

 観光分野で八重山に後れを取る宮古観光の今後を考えると、島々の魅力が一度に味わえる5島一体となった広域的な戦略が必要だ。

 幸い伊良部には「ミャークヅツ」といった祭祀(さいし)、幻想的なダイビングスポットなど独自の文化と自然がある。下地島空港も観光と結びつけた活用を構想してほしい。

 大橋開通はゴールではなく島の新たな歴史の始まりだ。暮らしを豊かにする社会資本として橋を上手に利用する知恵が問われている。