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憲法学者の木村草太さん=9日、東京都内

 横浜に生まれ、寒さが大の苦手な私にとって、沖縄は「憧れの南の島」だ。はじめて沖縄に行ったのは、高校の修学旅行。その記憶は今も鮮明だ。

 旅行2日目は、六つの観光コースから好きなコースを選ぶ方式だった。一番人気は、渡嘉敷島でのサイクリング。そんな爽やかなセレクトを横目に、私は辺戸地区へのマングローブ林見学バスツアーを選んだ。もっとも当時の私は、宿泊地「那覇」と目的地「辺戸」の位置関係をまったく分かっていなかった。辺戸コースを選んだ他の生徒も、同じだったのだろう。

 沖縄本島最北端辺戸への道のりのあまりの遠さに、「こんなことなら爽やかな風に吹かれてサイクリングをすべきだった」と、バス内は不平不満が飛び交った。はるばる見に来たマングローブ林も、「要するにただの木じゃん」と非難する不届き者まで登場した。私はといえば、経験したことのないマングローブ林の生命力に圧倒され、沖縄本島のスケールも体感でき、大満足だった。

 しかしそれから15年以上、私は沖縄に行っていない。要するに、私は、沖縄に強い憧れを抱きつつ、かなり離れたところで生活をしている人間である。

 ところで、憲法研究者である私にとって、沖縄は、米軍基地の負担を集中的に引き受ける「基地の島」でもある。米軍基地問題は、国際関係、国内政治、経済的利権など、多様な要素が入り組む迷宮である。沖縄世論も決して一枚岩ではない。学問的に扱うには、あまりに厄介な話である。

 沖縄タイムスから連載の話をいただいたとき、厄介な基地問題を抱えつつ沖縄に住む人々に向けて憲法を語る資格など、私にはないのではないか、と感じた。私は、あまりにも沖縄から遠いところで生きている。

 しかし、そもそも憲法学は、イデオロギーや国際・国内政治の現実から「距離」をとり、国家運営にスジを通すための学問である。「現実を知らない」、「絵空事だ」と現実との「距離」を非難されるのは宿命だ。しかも私は、憲法研究者の中でも、実務動向や学界慣習より理論を重視する方なので、その手の悪口への耐性は高い。

 というわけで、憲法を語る上で「距離」があることは、決して悪いことではないのではないか、と思うに至った。この連載では、批判を承知で、あえて距離のあるところから、沖縄の、そして日本の憲法問題を論じてみたいと思う。(記事と写真の転載、複写を固く禁じます)

 [きむら・そうた] 憲法学者。1980年横浜市生まれ。東京大学法学部卒業、同大助手を経て2006年から首都大学東京准教授。研究テーマは思想・良心の自由、平等原則。主な著書に「憲法の創造力」、奥平康弘氏との共著「未完の憲法」。新刊は共著「憲法の条件-戦後70年から考える」。テレビ、ラジオへの出演多数。趣味は将棋。ブログは「木村草太の力戦憲法」。ツイッターは@SotaKimura