「いちゃればちょうでー じゃないよー、いちゃればおーえーだよ」(出会えばきょうだいじゃない、出会えばけんかだよ)とある島ンチュに去年のウチナーンチュ大会中に言われた。それが脳裏に焼き付いている。

末の孫娘のエミが10歳のころ、学校で国際文化学習の日に描いた鯉

 「いちゃればちょうでー」は県人会では対話やスピーチに出る。ニューヨーク県人会のモットーでもある。

 「いちゃればおーえー」を島ンチュや県系人たちと話題にしたら、財産争いや教育方針、啓蒙(けいもう)思想、政権争いにも当てはまり、多少の相違はあっても国際的に当てはまるのだとなって話は終わった。 

 意見の相違はあっても大人同士なら対等に互いの独自性を認識し合えるだろう。しかし沈黙状態は「受け身的攻撃性」と描写される。つまりよく島ンチュがいう「シッピタヤー」である。アメリカ人は一般に喜怒哀楽が目立ち、短気者も多いが後で握手をする例も多い。 

 どの家族、団体、島、国にも人間が生存している限り思想の違いはある。国が発展すれば社会構成も複雑になり対人関係も激しくなる。規模の大小かかわらず、各団体のリーダーには条件が付く。リーダーとして良いことをすると 「当たり前」、スムーズにいかなくなると残酷に非難される。

 大木の上は暴風雨や太陽、吹雪が最初に当たる。リーダーの立場とはそんなものである。

 どんな組織にも目的がある。ニューヨーク沖縄県人会の運営目的の一環として、沖縄の歴史、芸能文化の普及の場を提供しセミナーや講習会などを開催する、とある。ハワイ、南米、カリフォルニアなどの県人会がうらやましい。当会のイベントで琉舞の古典、雑踊を披露してきた1世たちは高齢期に入り活動が少なくなってきた。

 今年は完全に次世代たちによるウチナー芸能文化への価値観の違いが明らかになった。特にニューヨーク中心の県系の若者たちには、この地域はあまりにも刺激が多すぎ、県人会に参加して郷愁を癒やす必要性を感じない。

 当会には1世がまだ多い。沖縄から出たのに、なぜまたウチナーンチュたちに会いに行くわけ? と前に耳にしたことがある。若いウチナー1世を空港に迎えに行き、車の中でウチナーの歌が流れたら「何で?」と言われたことも。

 心身的に過酷な移住体験をした親を持つ2世は、ほとんどが親以上の教育を受け、ましな人生を過ごしている。そんな親たちを持つ3世が、「オバー、オジーたちは苦労したがサンシン、ウチナー踊りをし琉球文化をエンジョイしている」、キャリアだけで頑張っている親たちを見て「どこかおかしい」と意見した話を読んだことがある。

 私の文化・社会的アイデンティティーは民族意識によって影響されている。琉球人としての意識は幼児期からの芸能文化、空手、家庭環境なども基礎になっている。渡米して半世紀を過ぎても、成長期に刻まれた土台は変わらぬ原点である。逆流に向かって泳ぐ鯉(こい)のごとく、そんな宿命を感じる今日この頃である。(てい子与那覇トゥーシー)