沖縄県名護市東江の住宅街にある「比嘉セメント瓦工場」。かつては沖縄各地にあったセメント瓦工場だが、今では唯一ここだけとなった。“最後の職人”の3人は週1回、分業で1日250枚の瓦を汗水流しながら作る。仲間からおやじと慕われる工場長の比嘉良義さん(86)は「いつまで続くか分からないけど、体が動くうちは作らないと。まだ需要はあるんだから」と職人魂をのぞかせた。(北部報道部・城間陽介)

平瓦を2人で分担し作る比嘉武光さん(手前)と渡久地政行さん=5月30日、名護市東江

県内最後のセメント瓦職人の(左から)渡久地政行さん、比嘉良義さん、比嘉武光さん

平瓦を2人で分担し作る比嘉武光さん(手前)と渡久地政行さん=5月30日、名護市東江 県内最後のセメント瓦職人の(左から)渡久地政行さん、比嘉良義さん、比嘉武光さん

 作業は午前7時から昼休憩を挟んで午後3時まで続く。平瓦を渡久地政行さん(77)、比嘉武光さん(73)の2人が、棟部分のアーチ形の瓦を良義さんが担当。手の感覚で丸みをつけるため、熟練の技が必要だ。

 セメントを素早く型に落とし込み、形を整え、一枚一枚棚に並べる。丸1日水に浸した後、数日乾かして固める。新築で使われることはないが、修繕用として注文が入るという。

 創業は約55年前。16歳で瓦職人を志し、別の工場で下積みした良義さんが兄と独立し、今の場所に工場を構えた。セメント瓦はトタンなどに比べて風雨に強く、赤瓦より安く作れるため、戦後は県内全域に普及。最盛期の1960年代は名護市内だけでも23カ所の工場があったという。特に台風後の注文が殺到した。機械も出始めたが、渡久地さんは「品質は手作りにはかなわない」と話す。

 時代が移り、家々は鉄筋コンクリートに変わり、セメント瓦工場は次々に姿を消した。良義さんは「みんな亡くなり、高齢化で続けられなくなった。食べていけないから後継者もいないね」と少し物寂しげだ。

 それでも、セメント瓦の家屋は点在する。「必要とする人がいるから作り続ける」。“おやじ”は作業の手を止めずに語った。