フランスの詩人、ポール・ヴァレリーに、人生をボートに例えた次のような作品がある。「湖に浮かべたボートを漕(こ)ぐように人は後ろ向きで未来へ入っていく」

▼後ろ向きにこぐボートは、前を見ると、進んできた風景しか目に入らない。人生も同じで、過去や現在は見えても、明日の景色を誰も知らないように、人は未来を見通せない

▼だが時に、自らの「未来」を悟りつつ、残された時間と真摯(しんし)に向き合う人もいる。乳がんを患い闘病生活を送り、34歳で亡くなった小林麻央さんもその一人である。ただ、希望を捨てず、前向きな姿勢でここまで多くの方の心を打った人はいない

▼3年前にがんを告知され、夫と二人の幼子との闘病生活が始まった。昨年9月にはブログを開設し、身辺雑記だけでなく、がんの転移も包み隠さず発信。登録読者数は250万を超えた

▼長くはない余命を覚悟しつつ、奇跡を願う家族や周囲の支えを背に必死にボートをこぎ続け、そして静かにその手を止めた

▼ブログの文章を読み返して思う。何故、彼女はこれほどまでに強く、どうしてあそこまで人に優しくなれたのだろうかと。「感動した」との月並みな言葉で表現するにははばかられる。「すごい人だな」と夫が称したその人はこれから、3人が乗ったボートを天国から優しく見守っていくのだろう。(稲嶺幸弘)