「心を鍛え、てんぐにならないことが一番大切」。県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者の友寄隆宏氏(88)が空手の鍛錬や指導で最も重視した教えの一つだ。空手を追求して70年超。歴史に名を刻む大家を師とする上地流範士十段は現在「沖縄の空手・古武術保存会」の会長を務め、空手の継承と発信に力を注いでいる。(社会部・浦崎直己)

「空手を通して世界が広がった」と語る友寄隆宏氏=6月27日、沖縄市

第1回沖縄伝統空手道古武道世界大会で「完戦」を演武する友寄隆宏氏=1999年8月13日、県立武道館

上地完英氏(中央)の下で空手の鍛錬を重ねた友寄隆宏氏(左)=1950年ごろ、宜野湾市野嵩(提供)

道場を開き、ジョージ・マットソン氏(前列右)ら米兵たちに空手を指導した友寄隆宏氏(前列中央)=1956年、当時宜野湾市野嵩にあった自宅(提供)

「空手を通して世界が広がった」と語る友寄隆宏氏=6月27日、沖縄市 第1回沖縄伝統空手道古武道世界大会で「完戦」を演武する友寄隆宏氏=1999年8月13日、県立武道館 上地完英氏(中央)の下で空手の鍛錬を重ねた友寄隆宏氏(左)=1950年ごろ、宜野湾市野嵩(提供) 道場を開き、ジョージ・マットソン氏(前列右)ら米兵たちに空手を指導した友寄隆宏氏(前列中央)=1956年、当時宜野湾市野嵩にあった自宅(提供)

 沖縄の空手・古武術保存会会長

 上地流開祖の上地完文氏の弟子として和歌山県での道場開設に関わった父友寄隆優氏の下、幼少時代から空手に憧れた。県立第一中学校(現首里高校)の2年のころ、剛柔流開祖・宮城長順氏に弟子入り。当時は沖縄に上地流はなく、呼吸法などが似ていた剛柔流を選んだ。

 宮城氏は当時「肉とぅい(肉をちぎる)」と呼ばれ、武道界では有名人。常に握力を鍛え、青竹を握りつぶし、日本軍少佐が握力を調べようと持ってきた握力計が振り切れて壊れたこともあったという。1944年の「10・10空襲」で道場が焼けるまでの1年半ほど剛柔流を学んだ。

 ■上地流学ぶ

 戦後、宮城氏と再会。46年に天願であった米兵向けの訪問演武会にともに参加し、上地氏の息子完英氏と出会った。

 完英氏は演武後、棒術で使うカシの木の棒を米兵に全力で振り回させ、腕で受けて棒を折るというパフォーマンスを披露した。米兵らの度肝を抜く実力。その後「上地流を学びたい」と、宮城氏の紹介を通して完英氏に弟子入りした。

 完英氏の道場開設に関わり、49年には宜野湾市野嵩に上地流の空手道場が完成した。隆宏氏ら門下生たちは上地流の基本となる型「サンチン」で徹底的に体を鍛えたという。

 那覇市壺屋まで出向き、自分の指の長さにあった「サンチン瓶」を作ってもらった。手で持ってサンチンを繰り返し、毎月一握りの砂を瓶に加え、負荷を増やしていった。

 完英氏からよく聞いた言葉は「実ぬ入ら、首折りり(実の入った稲穂は垂れる)」だ。実力を身に付けるだけでなく、強さにおごらず、謙虚さを大切にしなさいと教わった。

 ■米兵に指導

 米軍の憲兵隊の通訳をやっていた経験から米兵への空手指導の通訳を担っていた隆宏氏。完英氏から実力も認められ、55年ごろ、入門したいという米兵らを預かるため、自身の道場を開いた。

 「強くなりたい。ケンカで相手を負かしたい」と意気込む米兵たちに「勝つには拳銃で撃つ方が早い。人を倒すためなら辞めなさい」と、自身が学んできた精神を鍛える大切さを説いた。

 中でも、読谷トリイステーションの米兵ジョージ・マットソン氏は実力があり、1年間、型を徹底的に指導。別れ際に「上達するために、空手を教えなさい」と指導を勧めた。マットソン氏は進学した大学で空手を教え、数年後にはボストンに道場を開くほどになった。

 マットソン氏が書いた「THE WAY OF KARATE」という本はベストセラーになり、上地流も一気に世界に知られるようになったという。

 隆宏氏は空手指導のため、何度も渡米。ラジオにも出演した。空手のつながりで、元上院議員の故エドワード・ケネディ氏と2度会食したこともある。入国トラブルに巻き込まれた時には、ケネディ氏や経済界の著名人がスポンサーになってくれた。

 最終的に、入管局に呼ばれた際は、署長の息子が上地流の門下生で「あとは僕が何とかする」と対応し事なきを得たというエピソードもある。

 2000年に県無形文化財の認定を受けた。「アメリカや海外での沖縄空手の発信が評価された。空手をやっていたから世界が広がった」と振り返る。

 16年には県無形文化財保持者らで「沖縄の空手・古武術保存会」を結成、会長を務める。「沖縄空手を世界に発信するには流派を超えて、一つにまとまることが重要だ」。世界を見据えた視線は今も鋭い。

 【プロフィール】ともよせ・りゅうこう 1928年12月10日、和歌山県生まれ。3歳で伊江島に移る。県立第一中学校(現首里高校)に入学し、2年のころに宮城長順氏に弟子入り。戦後、上地完英氏の下で空手を学ぶ。99年、米ヒューストンの名誉市民を授与される。2000年には県無形文化財「沖縄の空手・古武術」保持者に認定。沖縄の空手・古武術保存会の会長を務める。14年に沖縄タイムス賞受賞。