この人を知りませんか-。那覇市神里原通り近くの民家の掲示板に、旧日本軍兵士の写真が長年貼られている。戦前、大阪で大嶺信雄さん(82)の母親が預かった。分かるのはうちなーんちゅということだけ。大阪大空襲、沖縄への引き揚げ、混乱の中、写真は家族とともにあった。張り出した写真は長年の日差しで色あせた。「もう外そうかなとも思うが、ひょっとしたら」。かすかな期待を抱き、現在まで掲示を続けてきた。(謝花直美)

大嶺信雄さんが持ち主を探している写真

 大嶺さんは那覇市垣花出身。父信義さんと母克さんは1939年大阪市へ出て、此花(このはな)区で乾物屋を営んだ。「経済統制で商品はつくだ煮ぐらい」。息苦しい生活の中、44年戦禍は旧南洋群島に及んだ。母親が出征する男性から写真を預かったのはこのころ。「うちなーんちゅはたくさんいたから、そのつながりでは」

 45年の大阪大空襲、店も家も焼けた。46年沖縄に引き揚げ、樋川で軍用テントのカバヤーから戦後の一歩を歩み始めた。

 約30年前亡くなった克さんの遺品を整理中に、家族アルバムの兵士の写真を思い出した。「母親は『預かった』と言っていた」。預けたのは、戦地から戻って受け取るため。男性は「預ける」との言葉に、生きたいという思いを込めたのでは。信雄さんは推し量る。

 「昭和19年に大阪で預かりました」。書き添えて数年前に写真を自宅前に張った。男性は詰め襟の軍服。襟章の数字は「46」と読める。2度問い合わせがあったが身元は分からない。

 最初の写真は日光で変色、引き延ばして2枚目を追加した。「どんな思いだったのか。無事だったのか」。大嶺さんは聞いてみたいという。

 問い合わせは沖縄タイムス編集局、電話098(860)3538。