小さな鍛冶屋から戦後の沖縄の復興とともに歩み、金秀を一大企業グループに育て上げた呉屋秀信さん(89)が亡くなった

▼現場記者時代に那覇市内の自宅に伺ったことがある。裏口を正門と間違えて何度か呼びかけると、家の中から「表にお回りください」と奥さんの声。会長だった呉屋さんに名刺を渡しあいさつすると、突然の訪問にも嫌な顔一つせず、応接間に通してもらった

▼ワインが好きで、軽く一本は空けたと思う。印象に残る話がある。弊社が旧社屋を久茂地に建設した時のこと。スチールサッシの工事を担った呉屋さんは、完成から1年後に白壁から赤茶色のサビが出たことに気がついた。「本当に恥ずかしかった。資材代も含めてこちらの責任で全部、やり直させてほしいと申し出た」

▼丁寧に物を作り、どれだけ客の役に立てるか。職人気質で何よりも信用を大事にしていたのだろう。晩年までお菓子を持って建築現場に通い、社員をねぎらった

▼グループの本社社長には外部から人材を起用。「なぜ、社内から登用しないんですか」。そう聞くと「より優秀な人に協力を仰ぐのは当然のことでしょう」。新しい血を注ぎ続け、大きくなる組織の弛緩(しかん)を排した

▼母校の西原中学校に寄付を続け人材育成や福祉、地域の発展にも尽力。「誠実 努力 奉仕」。社訓を地で行く生き方だった。(知念清張)