4日に死去した金秀グループの創業者、呉屋秀信氏は沖縄県経済の発展に尽くした経済人としてだけでなく、保守政治を支える経済界の重鎮として重要選挙を取り仕切る「保守・経済界のリーダー」「選挙のプロ」としても知られた。金秀を創業した西原町では地元の経済発展、人材育成にも尽力し、政界からは冥福を祈る声が相次いだ。

完成間近の那覇大綱挽の綱を手にする呉屋秀信さん(左から2人目)=2003年10月3日、那覇軍港

 自民党県連副会長の翁長政俊県議は、那覇市議時代から呉屋氏の背中を見続けてきた。知事選や国政選挙となれば、保守候補の選対本部の重要ポストには常に呉屋氏の姿があり「座っているだけで存在感があり、陣営にやる気が生まれた。経済人だからこそ政治家にはっきりとものが言え、信頼も厚かった」と振り返る。

 元自民党副総裁の山崎拓氏を支援する「沖縄拓政会」の会長を務めるなど、自民党本部や政府にもパイプを持ち、沖縄の気持ちを代弁する姿に熱い思いを感じ取ったこともあるという。

 座右の銘として「尽くして求めず」という言葉を聞かされたといい「政治、選挙に一生懸命に取り組むが、何かをお願いされたことは一度もない。立志伝中の人で、間違いなく保守・経済界のリーダーだった」と功績を述べた。

 西銘恒三郎衆院議員も、父・順治氏の知事選や衆院選挙には必ず呉屋氏がいたといい「保革が一対一で争う大きな選挙の時に、呉屋氏は保守選対の要で欠かせない存在だった。終戦後の何もないところからへら一つで会社を育てた。そんな呉屋さんだから、県内の企業をまとめることができたと思う」と惜しんだ。