画家として沖縄に存在感を示し、指導者として多くのアーティストを育て、さまざまな分野の文化人と親交のあった真喜志勉さん。各方面から死去を悼む声が聞かれた。

 美術評論家の翁長直樹さんは「沖縄にポップアートを最初に導入し、1990年代後半からは、ポップ的なものを残しながら沖縄の基地問題を扱った社会的メッセージの強い作品を発表した」とし「もっと作品を見たかった」と惜しんだ。

 真喜志さんが主宰した画塾「ペントハウス」の卒業生には一線で活躍するアーティストも多い。画家の桃原須賀子さんは「早すぎる」と絶句。「私がペントハウスに居場所を見つけたのは14歳の時だったが、先生は好きなように描かせてくれた。出会えて本当に感謝している」と話した。

 映像批評家の仲里効さんは、分野を超えて真喜志さんと親交があった1人。ともに写真展やシンポジウムを企画した。「繊細さと骨太さを併せ持ち、ぶれずに表現していた。生きざまを含め、大きな存在だった」と回想。多摩美術大学の後輩、彫刻家の能勢孝二郎さんは「大きくはっきりした物言いの外見とは別に温かく繊細なところがあった。安らかにお眠り下さいとしか言えない」と悼んだ。