日本の医療と高齢者像を大きく変えた人だった。

 聖路加国際病院の名誉院長で、文化勲章受章者の日野原重明さんが亡くなった。105歳。

 穏やかだが信念をもって語る「命」や「平和」についての話が、もう聞けないかと思うと寂しい。

 神戸で育った子ども時代に、治療費も請求せず母親の命を救ってくれた医師との出会いが、医学を志すきっかけになったという。

 熱意に燃えて医学部に入学したものの、結核で療養生活を余儀なくされ挫折感を味わった。しかしそのことが後々、患者の痛みや不安への理解を促した。

 聖路加病院に入ったのは太平洋戦争が始まった1941年。東京大空襲では病室が足りず、チャペルやロビーにマットを敷いて負傷者の治療に当たった。

 95年の地下鉄サリン事件で院長として陣頭指揮を執った時も、同様にロビーを応急処置場として機能させた。

 早くから予防医学に取り組み、国内でもいち早く人間ドックを開設したことで知られている。成人病に代わる呼称として「習慣病」を提案し、「生活習慣病」に名称が代わる契機をつくった。

 日野原さんは沖縄の長寿危機が叫ばれる随分前から「若い人の生活を改革しなければ」と警鐘を鳴らした一人である。当時「健康は与えられるものではなく、実際の行動で勝ち取っていくしかない」と呼び掛けていた。

 自らの実践を通じ健康を広め、時代の先を見詰めた改革に取り組んだ。

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 100歳を超えても聴診器を握り現役を貫いた人生は、シニア世代の新しい生き方を発信するものだった。

 2000年には、全国の75歳以上の元気な人に呼び掛けて「新老人の会」を設立。自立して生きる高齢者を「新老人」と呼び、社会参加や貢献の意義を説いた。

 著書「生きかた上手」が大ベストセラーとなったのは90歳の時。「老いとは衰弱ではなく、成熟すること」など、年を取ることを肯定的にとらえた言葉に励まされた人は多い。

 日野原さんたちが提唱した新老人が育っているからに違いない。周りを見渡しても一昔前の高齢者イメージとは違う、若々しく活発なシニアが多い。 

 共通するのは、社会参加への意欲であり、老いをマイナスととらえない生き方である。

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 日野原さんが最晩年、力を入れた活動に、子どもたちに命や平和の大切さを教える「いのちの授業」がある。

 12年、那覇市の天妃小学校で開かれた授業では、自らの経験を交えながら「命とは自分が持っている時間のこと。将来は困っている人のために時間を使えるような生き方をしてほしい」と語り掛けた。

 憲法改正への流れが加速する中、子ども向けに憲法本を出すなど、護憲の立場から平和運動にも携わった。

 子どもが平和をつくる運動を手助けすることに、残された時間を使ったのだろう。