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  • 1945年夏には当時の県人口3割の10万3000人が収容されていた
  • 食糧事情も悪く、栄養失調やマラリアで体力の弱い人が死亡
  • 宜野座村には11カ所の収容所と9カ所の共同墓地が造られた

 沖縄戦で、11カ所の収容所があった宜野座村で28日、収容所で亡くなった人を埋葬した共同墓地跡の一つから、大腿(だいたい)骨の一部の遺骨が見つかった。遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表らが発見した。

埋葬地と思われる海岸付近の砂浜から発掘された、大腿(だいたい)骨の一部と割れた墓石など=28日午後、宜野座村惣慶

 遺骨が見つかったのは「スンブク原共同墓地」跡。表土から約90センチ下にあった。長さが約10センチ、幅が2センチ余りで、子どもか女性のものとみられるという。

 沖縄戦で住民は米軍の捕虜になるなどし、収容所に移された。ピーク時の1945年夏には、当時の県人口の約32%に当たる約10万3千人が収容されたという。食糧事情も悪く、栄養失調やマラリアなどで、体力的に弱い人々が亡くなった。

 共同墓地は村内に9カ所つくられた。戦後、遺族が遺骨を持ち帰ったり、建設工事などに伴い収集されたりしたが、具志堅代表は「まだ遺骨が多く残っている可能性がある」と話す。

 今回の遺骨収集はガマフヤーが村と連携し昨年10月ごろから開始した。具志堅代表は「北部は県により、南部の住民の疎開地に指定されていた。県が収集する責任がある」と指摘した。

 問い合わせは具志堅代表、電話090(3796)3132。