9秒でまるわかり!

  • 沖縄戦で旧日本軍が埋めた機雷が爆発、園児ら4人が死亡した
  • 事故を風化させぬよう戦後70年を機に建立。説明板も設置そた
  • 高良牧師「戦後処理は終わっていない。戦争を繰り返さないで」

 那覇市小禄にあった聖マタイ幼稚園で不発弾が爆発し、4人が死亡した事故から41年となる2日、沖縄戦の「負の遺産」を語り継ぐ記念碑の建立式典が、豊見城市の同園内で開かれた。当時の園長や父母、現在の園児ら約60人が、献花や賛美歌の合唱で犠牲者を追悼。「事故を風化させない」と決意を新たにした。

建立された記念碑に献花をする聖マタイ幼稚園の園児=2日午後、豊見城市豊見城・聖マタイ幼稚園

記念碑建立式典に参加する元園長の鬼本照男さん(右)、事故当時子どもが通っていた金城新吉さん

建立された記念碑に献花をする聖マタイ幼稚園の園児=2日午後、豊見城市豊見城・聖マタイ幼稚園 記念碑建立式典に参加する元園長の鬼本照男さん(右)、事故当時子どもが通っていた金城新吉さん

 記念碑は、戦後70年に合わせて建立。傍らには説明板が設置され、事故の概要を写真と文で伝えている。

 式典で、聖マタイ教会の高良孝太郎牧師は「今も頻繁に不発弾が見つかり、処理のために地域住民が避難を強いられている。戦後処理は終わっていない。二度と愚かな戦争を繰り返さないよう、平和への祈りを込めた」と建立目的を説明。城間幹子那覇市長も出席し「不発弾の処理の促進に努めて、安全安心の確保に取り組む」とあいさつした。

 事故は1974年3月2日、園の敷地内で下水道工事中、沖縄戦で旧日本海軍が埋めた機雷が爆発。園庭で遊んでいた3歳の女の子や工事作業員ら4人が亡くなり、34人が重軽傷を負った。園内はひな祭り会の最中で、園児186人と多くの父母が集まっていた。同園は事故後、現在の豊見城市に移転した。