2017年(平成29年) 11月22日

1935沖縄 よみがえる古里

【普天間松並木】緑広がる交通の要衝 戦火や米軍飛行場建設の伐採で姿消す

 背の高い松の木の下を通る女性や馬車。広がる枝に生い茂る緑が人々を包み込むように木陰をつくり、子供が周辺に腰掛けて休息をとっているように見える。

戦前に普天間の景勝地として知られた宜野湾街道の松並木。1932年に国の天然記念物に指定され、人々に親しまれた。沖縄本島の南部と北部の間に位置し交通の要衝として多くの人々が行き交った。戦後は起点となっていた普天満宮周辺に商店のほか、そば屋や医者、馬車を一時的に預ける「ヤード」と呼ばれる場所などがあった。(写真は朝日新聞社提供)

かつて松並木があった普天間の現在の風景。左手の商店が建ち並ぶ店舗通り沿いに松並木が立ち並んでいた=宜野湾市普天間

戦前に普天間の景勝地として知られた宜野湾街道の松並木。1932年に国の天然記念物に指定され、人々に親しまれた。沖縄本島の南部と北部の間に位置し交通の要衝として多くの人々が行き交った。戦後は起点となっていた普天満宮周辺に商店のほか、そば屋や医者、馬車を一時的に預ける「ヤード」と呼ばれる場所などがあった。(写真は朝日新聞社提供) かつて松並木があった普天間の現在の風景。左手の商店が建ち並ぶ店舗通り沿いに松並木が立ち並んでいた=宜野湾市普天間

 撮影されたのは、現在の宜野湾市普天間。戦前の同地区では、松並木の街道が普天満宮から首里へ向けて延びていた。

 同宮発刊の「普天満宮略記」によると、17世紀後半、同地区に一時住んでいた尚貞王の世継ぎの尚純によって松が植えられたとされる。浦添当山方面へと延びる松並木は、琉球王府の役人などの参拝でにぎわったという。

 1932年には国の天然記念物に指定。全長5・8キロにわたり約3千本の松が並び、景勝地として知られていた。

 「戦前には防空壕の柱の材料にしたほか、米軍の戦車が通れないようにわざと松を切ったらしい。戦後も数百メートルの並木が残っていたが、米軍が飛行場を造るために並木を切った」

 普天満宮の宮司の新垣義夫さん(77)は、戦前の松並木の写真を興味深げに眺める。具志川出身で戦後、普天間に移り住んだ。戦火を逃れて一部残っていた松並木を覚えている。

 「最後は切り倒されて材木などに用いられたと思う。近隣の住民らが『松並木を残せ』と反対の声を上げていた」と振り返る。

 戦後、松並木があった場所の大部分は米軍普天間飛行場の土地として接収された。宜野湾市や県が策定した同飛行場返還後の跡地利用の方針では、住民の要望を受け、かつてあった松並木の復元が計画されている。(「1935沖縄」取材班・与儀武秀)

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