2011年3月9日。根本理平さん(22)の仙台市の自宅に琉球大学の合格通知が届いた。2日後に東日本大震災、そして東京電力福島第1原発事故が起きた。原発が立つ福島県大熊町の小学校長として、避難先で学校運営に奔走した伯父を見て、教師を目指す根本さんも4年間、福島と沖縄をどう教えるか模索してきた。「大勢のために少数を犠牲にする今の社会を子どもと一緒に考え、変えられる先生になりたい」と将来を描く。(新里健)

広野町や近隣の写真を紹介する根本さん。「福島は好きだけど、放射能への警戒が解けない自分の心に寂しさも感じる」=琉球大学

 琉大の入学式に出るため東北をたったのは、一時身を寄せていた岩手県の親類宅からだった。原発から20~30キロ南の福島県広野町に伯父と住んでいた祖母は東京へ、同県南相馬市のいとこ一家は新潟へ避難した。

 伯父が校長を務める小学校は避難先で空き教室を借りられず転々とし、建設会社の事務所の一部を間借りするなど苦労が続いた。秋には、原発から10キロ南で立ち入り制限が厳しい同県富岡町の小学校長に転任。町とともに内陸部に避難した学校を切り盛りした。

 根本さんは震災の年の末に広野町を訪れ、一時帰省した伯父や祖母と再会を喜んだ。翌年以降も年末年始や春休み、夏休みのたびに足を運んでいる。

 幼いころ、祖父とよく行った公園には原発メーカーの下請け従業員が寝泊まりする宿舎が立ち、原発と行き来するバスやトラックが並ぶ。昔、稲刈りを手伝った田んぼは耕作放棄地に。変わり果てた風景にショックを受けた。隣町には、黒いビニール袋に詰めた放射性廃棄物が延々と置かれている。「ここで生活を再建できるのか。国が強調する『安全』は疑わしい」

 大学3年から、小学校の社会科で原発問題をどう伝えるかを研究し始めたが、仲井真弘多知事が名護市辺野古の埋め立てを承認。抗議する市民と海上保安庁、県警の衝突が激しくなり、「自分が学ぶ沖縄で国策が押しつけられようとしている。今を見つめたい」と翌年は、中学の社会科で新基地建設問題を教える方法を研究した。来月から琉大大学院教育学研究科に進む。

 根本さんは、基地問題と原発問題に欠けているのは対話だと感じる。「国と知事も、沖縄と本土の人々もそう。福島では、故郷に戻りたい住民と帰りたくない住民が、国によって対立させられている」