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  • 東日本大震災を歌った『このまちと』について3426字インタビュー
  • 古里・福島県浪江町を追われた友人からのメールが基で生まれた
  • 「1人1人の小さいドラマにしか本当のエネルギーはないのでは?」

 東日本大震災の直後、沖縄県出身バンド「かりゆし58」の前川真悟さん(33)に1通のメールが届いた。東京電力福島第1原発事故によって、古里の福島県浪江町を追われた友人から。極限状態にあって、それでも古里を自慢する内容だった。そこから、名曲「このまちと」は生まれた。震災から4年を前に、前川さんに聞いた。

「毎日起きているドラマを表現していきたい」と語る前川真悟さん=2月、沖縄タイムス社

■躊躇を1回捨てようと思った

―震災直後は、どうしていましたか。

 犠牲、損失は数え切れないくらいでかくて、自分はどう向き合っていいか分からなくなりました。宮城県に入って、当時は友達だった家内やその弟、街で会った人たちから感じたのは、僕はその後から言うようになったんですけど、日本中、もちろん世界中にも被災地という住所はない。被災者という名前で戸籍に載っている人も1人もいない、と。そうすると、その街は誰かにとっての古里だし、その人は誰かにとって、自分にとっての友達、家族だと。心の繊細な部分だから、と躊躇(ちゅうちょ)している自分を1回捨てようと思いました。

―「このまちと」のモデルになった友達のメールがそういう時に届いたんですね。

 避難所で友達がどんな生活をしているのか、昔の台風の時を自分で思い出してみたんです。体育館でおなかがすいていたこと、退屈だったこと。くだらないメールでひまがつぶれればいいかな、と思って「そういえば行ったことないけど、どんな街なの?」と聞いてみました。「電源があったら、日記でもつけるみたいに書いてみて」と打ったら、「いい所だから遊びにおいでよ」と返ってきた。子どものころの思い出とか。被災地だからじゃなくて、この街に行きたいと心から思えたんです。

 「3・11をどう捉えますか、どう向き合いますか」と聞かれたら、それは人の痛みは想像もつかない。ただ少なくとも、おれには「久しぶり」と会える友達がいる。変に気を使うとか、「正義とは」とかじゃなくて、単純にそろそろ顔をみたいなと思う人がその街にいる。大阪とか九州とか、沖縄だったら中部にいる友達と同じ感覚。問題は小さくないし、傷は深いけど、腫れ物に触るようなことじゃなく、この街と向き合えるのかなと。

■ビビッて逃げるのは、なし

―メールを受け取って、すぐに歌にしようと思いましたか。

 友達が大変、同じ言葉で話す国の人が大変な時に、誰かの力になりたいというのはありました。でも正直に言うと、それと同じかそれ以上に、歌を作ることで「おれは何もしてないんじゃない」という卑怯(ひきょう)な納得の仕方をしたかったんです。それは自分勝手な感情で。現地で瓦礫(がれき)をやったこともあったけど、何もしない自分にがっかりすることが怖かったんです。

 みんなが「上を向いて歩こう」や「We Are The World」、「翼をください」を歌っていました。オリジナルの歌もたくさんあった。おれがどう言葉をかけていいか分からない時に、このメールで歌うべき言葉が見つかりました。迷うことなく、そのまま歌にしました。

 福島の人にも「同じ街に闘っている人がいて勇気をもらった」と言ってもらえました。でも、本当は自分も何もできない悩みをみんなと同じに抱えてて。消化したわけでも、歌を作ることで何か特別な勇気とか行動をしたわけでもなかった。向こうの人に引っ張り上げられてできあがった、ということだけは伝わってほしいと思っています。

 変にビビッて、この問題に向き合うと自分が何もしていないことに気付かされて嫌になるぜ、と逃げるのは、なしがいいな、と思っています。特に沖縄では、3・11に考えることはいっぱいあるけど、どう向き合っていいか分からない人が多いと思う。「あ、こいつもこんな感じだったんだ」と思ってほしいです。

―あえて卑怯という言葉を使われたけど、この歌を聴くととても澄んだ気持ちになります。作ったご本人から見るとどうですか。

 人として生きてきたこと、音楽人であることを誇りに思わせてくれるくらい、素晴らしい作品だという確信はあります。それは自分が作ったから、とか評価を受けたから、じゃなくて。この街の人のエネルギーが、うそのないメールに込められていて、そこから生まれた楽曲です。

―友達と前川さんの気持ちが両方入っていますね。

 感動しないと曲って作れないんだな、とその時痛感したんですけど。何かメッセージをあげよう、応援してあげようという気持ちからは曲は生まれない。それでも、これまで応援ソングみたいに聞こえる曲が作れたのは、立ち向かっているやつの姿に感動したから。続けてくれよ、また夢見させてくれよ、と。母に、好きな女の子に心が震えたから。

 今回、こいつの生きざま、放射能で何百年というスパンで古里を奪われたやつが「来てくれよ」「最高だぜ」というのはめちゃくちゃ格好いいなと思いました。

■人数分の感情が生まれる瞬間

―お客さんの反応はどうですか。

 福島でこの歌を歌った時、会場から日本酒持ってステージに上がってきてくれた人がいて。続きを歌えないくらいうれしかった。実は、こういう歌を必要としているかは疑問もあるんですよ。せっかくライブに熱狂しに来ているのに。だから福島では、アンコールが終わって、最後の最後にそれでも人がいてくれるんだったら、じゃあおまけでちょっと歌うけど、先に帰ってもらってもいいよ、という所で歌っています。

―「音楽の力」って何だと思いますか。

 メロディーもあって、まじないみたいなものだと思っているんです。「このまちと夢を見よう」「死ぬまで信じてるぜ」と歌う時、お客さんがポジティブな口、目尻の形をしていれば、それで一緒に歌った意味があると思う。

―お客さんの反応は、ステージ上からよく見えるものですか。

 何を感じているのかは、正直分からないです。でもそれが良くて。目が合う時に、人と語り合っているみたいな表情で聴いてくれている瞬間があって、それが全部だと思うんですよね。「僕が伝えたいことを感じてくれただろうか」とはあんまり考えないです。何かを感じようとこの歌に向き合ってくれていることが分かる。会場が一つになるということより、もっと大事なことがあって。一つの歌から人それぞれの何かの感情が、へたしたら人数分生まれるから。一つの歌が500人分、1000人分の何かを生む瞬間みたいなのがとても好きです。「このまちと」を歌っている時は、それをかみしめながら歌わせてもらっています。

■小さなドラマが傷を埋めていく

―震災後は「一つになろう」「絆」という言葉が多かったですね。

 誠意のつもりでやったことが誰かの大事な部分を踏みにじってしまったりとか、一辺倒ではいかないことを一番突き付けられた時だったじゃないですか。みんなでボランティアに行くことが正解だったらみんなそうするだろうけど、「頼むからそっとしておいてくれ」とか、「ほどこされ者みたいで惨めになるからやめて」とか。逆にそれに慣れてしまって「おれ、いつの間にかありがとうも言えなくなってしまったよ」という人もいたし。

 みんなで一つのことに向かって同じように動こうというのはとても難しいし、とても安直だし。だから自分が何をしていいのか分からなくなったんですけど。他の人は知らんけど、あいつはこうしてほしいと思っていたから持ってきた。「はい、漫画」ということをやり始めたら人間味も出るしリアリティーも出ました。

―被災地から遠い沖縄の私たちには、何ができるでしょうか。

 福島の子どもたちを受け入れて、エイサーで楽しんでもらおうというイベントを2013年にやりました。沖縄のみんなで子どもたちに拍手を送ることはできますよね。何かの解決になるかは別として、彼らも楽しめて、おれたちもいい祭りができたらいい。必ずまたやりたいと思っています。

 3・11からずっと、そういう1人1人の小さいドラマが起こり続けていて、そこにしか本当のエネルギーはないんじゃないでしょうか。悲しみを越えるとか、日本を揺るがした傷跡をゆっくり埋めていくのは。きょうは途中で起きずに眠れました、とか。人前で飲むのも嫌だったけど、きょうは外に出て飲んでみました、とか。そういったことの積み重ねだと思っています。

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 まえかわ・しんご 1981年旧東風平町生まれ。2005年にかりゆし58を結成、ボーカルとベースを担当する。代表曲に「アンマー」「さよなら」「オワリはじまり」など。14年に6枚目のフルアルバム「大金星」をリリースした。