せみの鳴き声が響く中、大田昌秀さんの県民葬が執り行われた。一般席には小さな子を連れた母親の姿もあり、その存在の大きさを改めて感じた

▼記者になって3年目。県庁担当になった1995年の秋、米兵による暴行事件が起きた。県民総決起大会が開かれ、米軍基地問題の解決を求める声は大きなうねりとなって広がっていった

▼思いがけず、大田さんを怒らせたことがある。翌96年、県は基地の整理縮小などを問う県民投票の準備を進めていた。知事の定例会見で、「投票率が何%だったら成功とお考えか」と聞いた。大田さんはにらむように「失敗とか数字は考えていない。できるだけ多くの県民に参加してほしい」。気迫に押された

▼前例のない県レベルの住民投票は、自民党県連が棄権を呼びかけ土地連も不参加を表明。それでも、政治家として一歩も引かない覚悟を感じた

▼大田さんは代理署名訴訟の最高裁で「行政の責任者として、さらに基地の強化・固定化を受け入れることは困難」と拒否の正当性を訴えた。あれから二十年余り。翁長雄志知事は、辺野古新基地の工事差し止めを求めて国を提訴した

▼安倍晋三首相は追悼の辞で「沖縄の基地負担軽減」を強調した。「現実の政治は言葉通りではない」(翁長知事)中で、首相の言葉を大田さんはどんな思いで聞いたのだろうか。(知念清張)