沖縄県知事や参院議員を歴任し、平和行政の推進や米軍基地の負担軽減に取り組んだ故大田昌秀さんの県民葬が26日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター展示棟で開かれた。県内外から約2千人が参列し、大田さんとの最後の別れを惜しんだ。実行委員長の翁長雄志知事は「平和を愛する共生の心の理念を受け継ぐ」と誓った。安倍晋三首相は「大田元知事が心を砕かれた沖縄の基地負担の軽減に引き続き全力を尽くす」と決意を示した。

多くの参列者が詰め掛け、献花した大田昌秀元県知事の県民葬=26日、宜野湾市・沖縄コンベンションセンター展示棟(代表撮影)

 祭壇には知事時代の大田さんの写真や、大田さんが建立に奔走し、1995年6月に除幕した平和の礎にハトの絵を描きこんだオブジェが飾られた。大田さんが好きだった「えんどうの花」も演奏された。

 遺影を持った遺族と入場し、深々と頭を下げた翁長知事。「県民の歌」の合唱や黙とうの後、式辞に立ち、「平和・自立・共生を県政運営の柱に据え、沖縄が抱える諸問題の解決に心血を注がれた」と功績をたたえ、「恒久平和のため、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる沖縄を築く」と強調した。

 安倍首相は追悼の辞で、大田さんの在任中の普天間飛行場返還合意や日米特別行動委員会(SACO)最終報告を挙げ「歴史的な出来事だった」と振り返り、平和追求に将来をささげた姿や信念は「人々の胸に永遠に生き続ける」と話した。

 鶴保庸介沖縄担当相、友愛県の井戸敏三兵庫県知事、鳩山由紀夫元首相らも出席。参列者らが次々と献花した。

 大田さんは19歳の時、沖縄戦で鉄血勤皇隊に動員された。

 沖縄戦や戦後史の研究者として活躍。90年の知事選に革新統一候補で出馬、初当選を果たし、98年まで2期務めた。2001年の参院選比例区で当選。07年に政界から引退した。92歳の誕生日だった6月12日、肺炎と呼吸不全のため亡くなった。