太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍が慶良間諸島に上陸して26日で70年がたつ。地上戦が始まり、3日後に占領宣言された座間味や渡嘉敷の島々では、投降を禁じられた住民たちが日本軍の命令で身内や親戚に手を掛け合う「集団自決(強制集団死)」の悲劇も起きた。

米軍慶良間上陸の日時と主な「集団自決」の地

 米軍は本島攻略の足掛かりとするため、1945年3月23日からの空襲や艦砲射撃に続き、26日に阿嘉、慶留間、座間味、27日に渡嘉敷などの島へ上陸。日本軍は本島での戦闘に備え慶良間に海上特攻を担う海上挺進(ていしん)各隊を配備していたが、上陸を受け持久戦へ転じた。

 「集団自決」によって渡嘉敷島で330人、座間味島で177人、慶留間島で53人が、屋嘉比島でも2家族が死亡したとされる。スパイ視された住民の虐殺のほか、朝鮮人軍夫や「慰安婦」の犠牲もあった。

 座間味島で26日午前10時半から、渡嘉敷島で28日午後1時半から、各村主催の慰霊祭が営まれる。