糸満市伊原のひめゆり平和祈念資料館で、1989年の開館以来続けてきた元ひめゆり学徒(証言員)の体験講話が終了した。修学旅行生らを対象にした60分程度の講話だが、86歳以上という証言員の高齢化が理由だ。

 2年前には証言員を外部へ派遣する館外講話も終了した。証言員の体調に応じて館内での証言活動は続けるが、事前に講話の依頼を受け付ける形では生の体験を聴く機会が無くなったことになる。

 沖縄戦体験を通して恒久平和を発信する象徴的な活動だっただけに寂しい思いも募る。しかし、証言員の体力的な負担を考えれば十分理解できる。まずは26年にわたる貴い講話活動に敬意を表し、お疲れさまでしたと感謝したい。

 3月で終了した館内講話は年平均300回以上、宿泊先のホテルなどに出向く館外講話も年500回をこなしていた。これだけの依頼を、証言員が開館当初の27人から現在の9人に減る中で続けてこられたのは、元学徒の「二度と戦争を起こしてはいけない」という強い使命感にほかならない。

 ひめゆり学徒隊は沖縄戦当時、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人の動員学徒で、南風原の陸軍病院などで看護活動に当たり、引率教師13人を含む136人が亡くなった。

 生存者は「自分だけが生き残った」と自身を責めた。小説や映画などで美談として扱われて心を痛め、しばらくは戦争体験など「黙して語らず」といった元学徒も多かったようだ。

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 島袋淑子館長(87)は最後の館内講話の際、「平和が続くように祈りを込めて伝え続けてきた。心残りはない」と一区切り付いたという安堵(あんど)感をうかがわせた。講話では友人を助けられなかった悔しさや戦争を食い止める努力を神奈川県の高校生に訴えている。

 講話を聴いた生徒が「生の声を聴き、言葉にならない恐怖を感じた」と受け止めたことを踏まえれば、やはり沖縄戦体験者が当時のことを語る証言の重みに勝るものはないのかもしれない。

 資料館職員は講話の終了に不安を抱いているようだが、一方では、証言者が高齢化する状況を見越し、十数年来、さまざまな改革に努めているのは心強い。証言映像を記録したほか、国内外の平和博物館視察を踏まえ、非体験者が戦争体験を継承できるよう説明員を採用するなど世代交代を進めている。

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 資料館の初代館長を務めたひめゆり学徒隊の引率教師、故仲宗根政善氏は生前、資料館建設に向けた思いを日記に残している。「資料館造りは平和の創造である。資料を蒐集(しゅうしゅう)して他人に見せようというのではなく、一人一人が平和創造の心を結集することでなければならない」(『ひめゆりと生きて』)。

 戦後70年。ひめゆりの資料館に限らず、悲惨な沖縄戦を語り継ぎ、どう平和な世の中を創り上げるのか。県民の英知を集めて発信する努力を誓いたい。