「カメジロー番」を自称していた時期がある。番記者は政界有力者の動向を追うのが仕事。私の場合、密着取材すべき相手はすでに他界していたが、残された資料には「宝の山」と呼ぶべきニュース価値と、時代の息吹があった

瀬長亀次郎さん(1969年撮影)

▼瀬長亀次郎さん。復帰前、米軍に奪われた権利を取り戻すため人々の先頭に立った。政府の強権姿勢が当時と重なる今、その闘いに学ぼうとする人は多い

▼翁長雄志知事もその一人。沖縄平和運動センターの山城博治議長は長期勾留中に瀬長さんの著作に触れた。辺野古の抗議行動の現場には瀬長さんの言葉「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」や「不屈」がある

▼「不屈」は実は瀬長さんの姿勢を指す言葉ではない。12日公開の映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男」で、次女の内村千尋さん(72)が明かしている

▼「県民は亀次郎が不屈の人だからだと思っているけど、亀次郎は県民の闘いが不屈なのでこの言葉が好きだと言っている」。必要なのは一人のヒーローではなく、人々の結集だと考えていた

▼瀬長さんは投獄される前、裁判でこう陳述した。「瀬長(中略)の口、耳、目を封じることはできても、八十万県民の五官の機能をとめることは不可能だ」(著書「民族の悲劇」から)。今、瀬長さんはいない。だが、瀬長さんが信頼した県民がいる。(阿部岳)