米軍キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区(約51ヘクタール)が3月31日に返還された。米軍が沖縄戦で上陸、占領して以来使い続けており、返還は実に70年ぶりだ。4日には現地で式典も開かれる。

 住宅地区は宜野湾市喜友名から普天間向け県道81号の北側に広がる。白壁の戸建て住宅が広大な敷地に点在し、青々とした芝に映える光景を目にした人は多いだろう。反対に南側は、キャンプ瑞慶覧と米軍普天間飛行場にはさまれた狭い土地で県民が建物をひしめかせて暮らす。

 フェンスの内と外でこうも住環境が異なるのか、としばしば対比される地区でもあり「基地の島沖縄」「復帰しても占領下なのか」と錯覚するような沖縄の現実が浮かび上がる地域でもあった。

 返還の経緯も曲折あった。1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で2007年度末返還を合意したが、06年の米軍再編で普天間飛行場移設とパッケージ化。その後、普天間移設と切り離され、13年4月、嘉手納基地より南の6施設・区域返還の一つとして合意された。

 SACO合意から数えても19年がたつ。敗戦で土地を奪われ、基地に土地の提供を強いられた地権者の思いを考えると、あまりにも時間がかかりすぎる。

 政府は、今回の西普天間地区返還で沖縄の負担を軽減したと強調するだろう。しかし、嘉手納より南の返還合意の大半は普天間返還の22年度以降だ。基地機能の県内移転も含めて日米で見直し、返還時期の前倒しを求めたい。

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 西普天間地区の跡地利用計画案では、地権者の住宅地域を除き、全体の約8割が公共施設用地として活用される見通しだ。琉大医学部・付属病院の移転や重粒子線治療施設を核とする国際医療拠点、普天間高校の移転を想定した人材育成ゾーン、都市公園などが検討されており、今年7月にも計画がまとまる。

 那覇新都心地区や北谷町美浜など、民間主導で開発が進められた従来の跡地利用とは大きく状況が異なり、公共主導の側面が強い。

 そのためにも「国の責務」を明確化し、12年度に施行された駐留軍用地跡地利用推進特別措置法(跡地法)の初適用ケースとして注目したい。昨年度末の国会では、公共用地の先行取得を一層促すよう跡地法を改正した。

 跡地利用は地権者の合意がなければ前に進まない。600人近い西普天間の地権者の不利にならないよう国は徹底して支援してほしい。

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 西普天間地区の文化財調査で見つかったドラム缶や油臭土壌の問題も懸念される。土壌から基準値の3倍を超える鉛が出ているが、沖縄防衛局は「直接摂取のリスクはほとんどない」としている。

 基地跡地から有害物質が出る事例を引くまでもなく、米軍が使った土壌は信用できない。市民団体が宜野湾市に求めたように、第三者の専門家が調査するダブルチェックは最低限必要だ。国も、今後返還される跡地利用の試金石になるよう西普天間の安全性を徹底的に確保すべきだ。