【沖縄】53年前に東京五輪の聖火リレーで市内を走った元泡瀬青年会の陸上部メンバーが約50年ぶりに顔をそろえた。当時撮影した記念写真を手に、3年後に控える東京五輪に向けて「沖縄で聖火リレーがあれば、ぜひエントリーしたい」「3年後はもう無理かな」などオリンピック談議に花を咲かせた。(中部報道部・赤嶺由紀子)

1964年の東京五輪の聖火リレーの参加を記念した写真

約50年ぶりにそろった元泡瀬青年会のメンバー。人物の並びはいずれも(前列右から)當眞さん、富名腰さん。(後列右から)高江洲さん、小渡さん、兼島さん=沖縄市内

1964年の東京五輪の聖火リレーの参加を記念した写真 約50年ぶりにそろった元泡瀬青年会のメンバー。人物の並びはいずれも(前列右から)當眞さん、富名腰さん。(後列右から)高江洲さん、小渡さん、兼島さん=沖縄市内

 “元青年”は、富名腰進さん(76)、當眞嗣健さん(78)、兼島義男さん(76)、小渡良仁さん(74)、高江洲義武さん(76)の5人。20代だった当時、それぞれの健脚は地元でも有名で、“職域リレー荒らし”と呼ばれるほど、多くの大会に参加しては優秀な成績を残した。字対抗の運動会でも花形選手だったという。

 旧美里村の職員だった富名腰さんが、聖火リレーの走者を仲間に呼び掛けたのがきっかけ。1964年9月8日、市与儀から高原までを走った。約1・5キロという短い距離だったが「沿道にたくさんの人がいて、列を乱さないように、息を合わせて走るのに緊張したよ」と懐かしむ。

 當眞さんが市内で営む飲食店に飾られているおそろいのユニホームできめた記念写真。当時の面影は少々薄れつつある5人だが「ちょうど青春時代だったよ」と振り返る。のちのち、地域の人から「聖火リレーを走っていましたよね」と声を掛けられることもあったといい、5人にとっての「誇り」でもある。

 現在は、それぞれ仕事や余暇で忙しい毎日を送る。ゴルフやウオーキング、軽いジョギングなどで鍛えている。市内に住む5人だが、集まる機会は多くはない。それでも会合などでお互いの顔を見つけると、自然に輪ができ、聖火リレーの「絆は強い」と声をそろえる。

 2020年の東京五輪を間近に、當眞さんは「人生で2回、日本でのオリンピック開催が見られるとは思っていなかったよ」と笑う。仮に沖縄での聖火リレーが決まれば「ぜひ走りたい」と真っ先に手を上げた富名腰さん。兼島さんは冗談交じりに「今から練習しますよ」、小渡さん、高江洲さんは「みんな気持ちはあるけどね~」と目を細めた。