初対面の取材相手に「まだ記者を続けていたんですね。良かった。てっきり圧力でやめさせられたかと思っていたから」と言われて、びっくりしたことがある

 ▼筆者が以前書いた不正追及の記事を応援していたのに、その後紙面から名前が消えたように感じていたのだという。実際には圧力はなく、記者も続けていた。だが、会ったこともない記者の身の上を心配してくれる読者がいることに感動した

 ▼きょう6日は「新聞をヨム日」。新聞社にとって、購読をお願いすると同時に、日ごろの報道を省みる機会になっている

 ▼133年前のちょうど同じ日、自由民権運動の旗手、板垣退助が襲撃された。深手を負いながら「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ、とされる。テロに屈しない言論の覚悟が込められている

 ▼今の日本では暴力、あるいは読者に心配してもらうような権力のむき出しの介入は、まだ少ない。それに、あまり効かない。外からの力は目に見え、対抗しやすいから

 ▼一番やっかいなのは、私たちの中に潜む自主規制の芽だと思っている。目の前の強者に遠慮し、世の風潮に流されれば、楽だし波風も立たない。その代わり、新聞の存在意義を自ら掘り崩してしまうだろう。そうならないために、迷った時は読者の顔を思い浮かべる。知らない顔を、想像してみる。(阿部岳)