沖縄東村有銘の佐久本勝子さん(96)は今年カジマヤー(数え年97歳の長寿の祝い)を迎えた。孫とひ孫とネコが大好きで「これはマヤー(ネコ)の『赤』、私はカジマヤーの勝子。2人ともマヤーだね。ガチマヤーじゃないよ」と、ちゃめっ気たっぷりに話す。

大好きなマヤーの「赤」と今年カジマヤーを迎えた佐久本勝子さん=東村有銘の自宅

 有銘尋常小学校を卒業後、15歳で大阪の軍需工場に働きに出た。「4、5年勤めたかな。型枠を作る仕事だった」有銘に戻り、畑や山仕事で家の手伝いをした。

 21歳で2歳年上の盛徳さんと結婚した。盛徳さんは満州やシベリアに出征。1945年初夏、勝子さんは村の人たちと共に山へ避難した。避難の準備をして山に行ったため、食事には困らなかったという。

 梅雨明けごろ、下山すると有銘には避難民と米兵がいた。「(米兵は)山みたいに大きな人たちだったよ。怖かったね。中南部の避難民もたくさんいた」と述懐する。

 極寒のシベリアで体を悪くして帰ってきた盛徳さんの代わりに、戦後は懸命に働いた。

 約2千坪(約6600平方メートル)のパイン畑から1人で1トン収穫した時代もあった。木に登りヤマモモを採り、パインの天敵イノシシを何十頭も捕獲し生活の糧を得た。長女の時子さん(67)は「父の代わりに仕事一筋で私たちを育てた」。四女の京子さん(60)は「木登りが得意だった。今はできないけど」と目を細める。

 80歳で他界した盛徳さんとの間に子5人の子宝に恵まれ、孫13人、ひ孫が23人いる。勝子さんの正月恒例行事は孫やひ孫の名前をお年玉袋に書いて手渡すこと。「でも名前と顔が一致しないよ」と笑う。

 野良猫が2年前に産んだ子猫のうち残った3匹を「赤」「青」「黄」と命名した。「交通安全ではなく家内安全を考えて名付けた。小さい時はかわいかった。今では私の押し車が好きでいつも邪魔をする」と勝子さん。

 有銘尋常小の同級生は12人いたが、今では1人だけになったとし「皆の分まで長生きしなければね」と話した。(玉城学通信員)