太平洋戦争中に学童や一般疎開者ら1788人を乗せた疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈された事件から73年となる22日、那覇市若狭の「小桜の塔」で慰霊祭が執り行われる。乗員乗客1788人のうち、氏名が判明した死者数は学童784人を含む1482人。慰霊祭には同年代の犠牲者に思いをはせ、平和の詩を読む小学生や、伯母家族6人の遺影を新たに対馬丸記念館に寄贈する女性も参列し、非戦の祈りをささげる。

母ハルさんのたんすから見つかった眞栄平マツさん家族の写真をかざす宮城栄孝さん(左)、世志子さん夫妻=浦添市仲間

対馬丸に乗船し、全員犠牲になった眞栄平マツさん家族(宮城栄孝さん提供)

母ハルさんのたんすから見つかった眞栄平マツさん家族の写真をかざす宮城栄孝さん(左)、世志子さん夫妻=浦添市仲間 対馬丸に乗船し、全員犠牲になった眞栄平マツさん家族(宮城栄孝さん提供)

 ◆多くを語らなかった母

 対馬丸に母子6人で乗船し、全員が犠牲になった眞栄平マツさん(当時37歳、うるま市出身)家族の写真が22日、対馬丸記念館の遺影に追加展示される。マツさんのおいの宮城栄孝さん(73)=浦添市=がことし5月、母ハルさんの遺品の整理中、たんすの底にある写真を発見した。「家族6人が一瞬で亡くなる戦争を知ってほしい」と記念館へ寄贈した。

 2年前に98歳で亡くなったハルさんは、マツさんの妹にあたる。

 うるま市平良川でハチャグミ(米の菓子)を作り、売っていたマツさん。夫を沖縄に残し、子ども5人と対馬丸に乗船した。戦後、ハルさんは多くを語らず、疎開が決まった経緯などの詳細は分からない。

 記念館の記録で、末っ子の朝永さんが0歳とあり、写真にも写っていることから、乗船直前に撮影したことが分かった。写真に夫は写っていない。

 ◆マツさん家族が戻ったよ

 ハルさんは数回、対馬丸慰霊祭に参列した。宮城さんは静かに手を合わせていた母の姿を思い出しながら、「暗い海に投げ出された母子はどう感じただろうか」と犠牲者の無念を思った。

 22日の慰霊祭に出向く宮城さんの妻、世志子さん(77)は「写真だが、『マツさん家族が沖縄に戻ったよ』と義母にも手を合わせ報告したい」と語った。

 記念館によると、遺影の寄贈は近年、犠牲者の孫世代から持ち込まれる例が増えているという。慶田盛さつき学芸員は「語れなかった当事者世代から、『実情を知りたい』という世代に移りつつある。遺影はまだ全犠牲者の4分の1ほど。小さな情報でも寄せてほしい」と呼び掛けている。