【名護】「聖火よ! 再び嘉陽へ」。1964年の東京五輪の聖火リレーの際、種火の「宿泊地」となった沖縄県名護市嘉陽区にある聖火台が、53年ぶりに修復された。聖火ランナー、沿道で声援を送った人、裏方など当時の熱気を知る関係者は、2020年の東京五輪で夢の再現を思い描いている。

53年ぶりにお色直しした「聖火台」に立つ(右から)比嘉達也さん、宮里操さん、大嶺真順さん=21日、名護市・旧嘉陽小学校正門前

【53年前の嘉陽の聖火台】はちきれるばかりに打ち振られる日の丸に迎えられ、嘉陽に着いた聖火=1964年9月8日、久志村(現・名護市)嘉陽

53年ぶりにお色直しした「聖火台」に立つ(右から)比嘉達也さん、宮里操さん、大嶺真順さん=21日、名護市・旧嘉陽小学校正門前 【53年前の嘉陽の聖火台】はちきれるばかりに打ち振られる日の丸に迎えられ、嘉陽に着いた聖火=1964年9月8日、久志村(現・名護市)嘉陽

 1964年9月の聖火リレーでは、151人の聖火ランナーが県内を駆け巡った。聖火は旧嘉陽小学校正門前にある「聖火台」へ点火され、その「種火」は旧嘉陽小学校で1泊した。

 聖火台は高さ約90センチの台座、約130センチのヒューム管でできた円柱の上に、直径約1メートルのシンメーナービ(大型鍋)の点火台で作られている。見た目は当時のままだが、外部のセメントに亀裂が生じ、市久志支部体育協会の役員らが補修、久志中学校の生徒らが白いペンキを塗り直した。

 市体育協会の大嶺真順会長は「2年前に東京五輪が決定した9月8日は『久志駅伝』の当日だった。決まるのを見込み、五輪開催を祝う横断幕を作製していた」と話し、2020年も聖火の宿泊を熱望する。

 嘉陽区の仲村悦二さん(65)は、1964年当時嘉陽小6年生。聖火ランナーだった兄の民博さん(70)に声援を送ったのを覚えている。「嘉陽小5、6年生で結成した鼓笛隊で聖火を迎えた。世の中にこんなたくさんの人がいるのかと思うほどの熱気だった」と振り返る。

 当時久志村役場職員だった安部区の宮里武一さん(75)も「今でも開催されている『聖火宿泊記念駅伝大会』は久志地域の誇り。生きている間に聖火を2度も見ることができるなら、最高です」と期待を寄せる。

 聖火リレー第2日目の第1走者としてトーチを持ったのは、旧久志村体協の陸上部長だった宮里操さん(75)。「3年後には聖火を手に親子3代で走りたい」と目を細めた。

 聖火の「宿泊」を担当した久志村役場で総務課長だった比嘉栄一さん(享年69)。久志支部体協の7代目会長で長男の達也さん(62)は「おやじたちが五輪の一部を担っていたのはすごいと思う。今度は私たちの世代が味わってみたい」と、お色直しされた聖火台に立った。(玉城学通信員)