橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使の普天間飛行場返還合意から19年、同飛行場の名護市辺野古への移設問題で、県と政府の対立が深まっている。翁長雄志知事と菅義偉官房長官の5日の会談で浮かび上がったのは、普天間問題の原点をめぐる認識の違いだ。目の前の「危険除去」を訴える菅氏に対し、翁長氏は沖縄戦にさかのぼり、苦悩の歴史をひも解いた。(政経部・福元大輔)

菅氏・翁長氏の発言

 菅氏は政府の考え方として、市街地の中心部に位置し、住宅や学校に囲まれた普天間の危険除去が原点と説明する。中国公船の尖閣諸島周辺への侵入を例示し、「安全保障環境が厳しい中、国民の安全を守るのは国の責務。危険除去と日米同盟の抑止力の維持を考えた時、辺野古移設が唯一の解決策」と結びつける。

 また、「辺野古断念は、普天間の固定化にもつながる」と、くぎを刺した。

 果たしてそうだろうか。

 危険除去が原点なら、19年もの時間を費やし、さらに完成まで9年以上かかる辺野古移設を「唯一の解決策」と言えるのか。2004年に墜落事故の発生した飛行場を、辺野古が駄目だったら固定化すると口にできるのか。海兵隊の抑止機能や沖縄に駐留する軍事的な合理性はあるのか。

 翁長氏をはじめ、県民の多くに、そんな疑念がくすぶっている。

 翁長知事は、普天間を含む沖縄問題の原点は70年前の沖縄戦と捉えている。

 菅氏との会談では、県内の米軍基地で県民から提供した土地はなく、沖縄戦で軍事占領し、あるいは県民を収容所に入れた間や「銃剣とブルドーザー」で県民を押しのけた間に奪い取るなど、いずれも強制接収した土地だと主張した。

 「我々の思いとはまったく別に奪い取った土地を返す際に、世界一危険だから、危険除去のために沖縄が代替地を負担しろ、断るなら別の案を示せ、という話が出ること自体、日本の国の政治の堕落ではないか」

 諭すようにそう語った。

 日本が高度経済成長を謳歌(おうか)した戦後の27年間に米施政権下で味わった苦しみや米軍基地の集中する不条理を切々と訴え、日米安保の重要性、応分の負担を理解してきたが、「これ以上は受け入れられない」と迫った。

 普天間返還を要望した大田昌秀元知事さえ「困難」と感じた普天間返還合意。官僚の反発を押し切って、具現化した橋本首相は、その3カ月前、就任最初の国会演説でこう語っている。「沖縄の方々の苦しみ、悲しみに最大限、心を配った解決を図るため、基地の整理・縮小を推進する」

 一方、県内の選挙結果を顧みず、海上作業を進める19年後の辺野古の現場を、地元の稲嶺進名護市長は「平成の銃剣とブルドーザー」と呼ぶことがある。