前を逃げる女性の背中にはガラスの大きな破片が刺さり血が流れ出し、もんぺにたまっている。トラックに乗せられた女性が手で支えていたのは飛び出してしまった目玉-。米澤鐵志さん(80)=京都府=は、11歳の時に原爆が投下された広島で見た地獄を語った

 ▼爆心地から約750メートルの満員電車の中で被爆。その日のうちに母親と市外へ逃げたが、二人は高熱に苦しんだ。米澤さんは、奇跡的に回復したが母親は助からなかった

 ▼同じ満員電車から生き延びた人も、がんなどで亡くなり、今存命なのは米澤さんだけという。「戦争できる国」に向かう危機感からたびたび来県し、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で、新基地建設に反対する行動にも参加している

 ▼原発や放射能、基地などそれぞれに問題意識を持つ子育て中の女性たちの「未来をつくるママ達の会」が11日、北谷町で開いた講演会で話した。県内では、聞く機会の少ない被爆者の生の言葉が、圧倒的な重さで迫ってきた

 ▼米澤さんは、内部被ばくなどにも触れた。同会代表の新垣依恵さんは「問題が根底でつながっていると多くの人に伝わったと思う」

 ▼戦後70年。戦争体験者の話を聞ける時間は、そう長くはない。「二度と繰り返すな」の願いを引き継ぐためにも、体験者の思いに触れる取り組みが多くあればと思う。(安里真己)