太平洋戦争終盤の沖縄戦で、米軍が伊江島に上陸してから16日で70年がたつ。当時東洋一と称された日本軍飛行場は米軍の主要な攻撃目標となり、日米が激しく衝突した。

 米陸軍の資料によると、1945年4月16日から21日まで6日間の戦闘で、日本側は住民約1500人を含む4700人余が死亡。日本軍に投降を禁じられ、追い詰められた住民たちの「集団自決(強制集団死)」や、スパイ視されたことによる住民虐殺事件なども発生した。

 21日に米軍が占領を宣言し、島のシンボル、城山(伊江島タッチュー)に星条旗が翻った。米軍の死者は24日までに172人とされた。

 米軍の基地拡張に伴い5月には、捕虜住民ら2100人が慶良間諸島の渡嘉敷、座間味両村へ強制移動させられ、その後さらに本島北部へ移動。帰還が許されたのは2年後の47年3月だった。