24日に95歳で亡くなった民謡歌手の山内昌徳さんを訪ねたのは今から4年前。取材ノートを広げると「まずはご飯を食べなさい」と、奥さん手作りのアチコーコーのスーチカーとヤマイモの炒め物が出てきた

▼戦後、奥さんの実家を頼って今の沖縄市園田に居を構えた。近くに住んでいた沖縄民謡隆盛の立役者・小浜守栄さんに誘われ、エイサーの地謡を務めたのをきっかけに本格的に歌い始めた

▼米軍基地で働き食料品の「戦果」を持ち帰ってきた山内さんの元には、いつしか照屋林助さんや嘉手苅林昌さん、喜納昌永さん、登川誠仁さんら、後に民謡界を支える大スターが集まるように

▼夜な夜な繰り広げられる達人たちのユンタクと歌三線。まだ娯楽の少ない1950年代初めごろで、流れ出た旋律が人々の心を潤したことは想像に難くない

▼58年、東京・日比谷公会堂でのNHK「のど自慢全国コンクール優勝大会」に沖縄から初出場し「ナークニー」を披露した。甘くつやのある歌声と端正な顔立ちで、あっという間に人気民謡歌手になった

▼インタビューで「どんな上手な歌手も必ず死ぬ。でも歌は何百年も残る。僕は忘れられても、歌は覚えていてほしいね」と笑顔を見せた山内さん。先に旅立った民謡仲間たちと、三線を弾きながら、にぎやかに語り合っているに違いない。(玉城淳)