【ウトゥ・カカジ通信員】北米のメキシコ国境近くの砂漠の町に、今年トーカチを迎えたウチナー女性がいる。3歳で那覇の辻に売られた幼少時代の経験など戦前、戦後にわたる自伝を英語で書きつづった。故郷を離れて64年。アリゾナ州ユマに住む正子・ロビンズ・サマーズさん(87)(旧姓・新城)=今帰仁村出身=だ。発刊には至っていないが「自伝が日本語で出版され、少しでも読んだ方の励みになればうれしい」と話している。

ヴァージニア州のラッカー夫妻を訪ねた正子さん(中央)とワーレンさん(左)、美枝子さん=2014年、ヴァージニア州

アジア太平洋ウェブジャーナル「ジャパン・フォーカス」で紹介されている正子さんの自伝の一部(同ウェブから)

ヴァージニア州のラッカー夫妻を訪ねた正子さん(中央)とワーレンさん(左)、美枝子さん=2014年、ヴァージニア州 アジア太平洋ウェブジャーナル「ジャパン・フォーカス」で紹介されている正子さんの自伝の一部(同ウェブから)

 正子さんは1928年、父親の仕事の都合で大阪で生まれた。その後、家族で今帰仁村に戻ったが、貧しい生活を強いられる中、3歳半で那覇の辻にジュリ売りされた。

 17歳の時に日本軍によってジュリ屋ごと慰安所に徴収。踊りなどで将校たちをもてなす任務をこなした。地上戦中は軍隊の看護人の任務に就き、首里城地下の司令部で日本軍とともに過ごし、戦火を生き延びた。

 1950年、戦後第一の民法による戦争花嫁となり、米軍艦船によってサンフランシスコに上陸した。

 正子さんが英語で自伝を書いたことを知り、その編集を手伝ったのが、友人でヴァージニア在住のワーレン・ラッカーさん(82)と妻美枝子さん(77)(旧姓新城)=名護出身=だ。

 正子さんとは家族ぐるみの付き合いをしていたが、ラッカー夫婦が他州へ引っ越したのを機に交流は途絶えていた。2013年に、ラッカー夫婦は、正子さんの消息を突きとめ、自伝のことを知った。

 原文に目を通したワーレンさんは衝撃を受けた。淡々とつづられた戦前の貧困生活やジュリ売り、慰安所への徴収。地上戦が始まって日本軍とともに首里城下の地下ごうで過ごした地獄の日々-。

 渡米後も、国境警備員として両国を行き来していた夫に第2の家族がメキシコにいたことが発覚し離婚。2人の養子を育て上げ、5年前に第2の夫とも死別したことなど苦難の連続だった。

 「穏やかな外見からは想像もつかない経験を乗り越えてきたことを知り驚いた」。ワーレンさんは事実確認と編集に約1年かけ、14年に完成した。正子さんの自伝は、翌15年2月には、アジア太平洋ウェブジャーナル「ジャパン・フォーカス」でも紹介された。

 アリゾナの大学で水彩画の講師も務めた正子さん。「無学の私がアメリカで絵の教師になれたことを誇りに思っている。血はつながらない孫息子も『グランマ、グランマ(おばあちゃん)』と慕ってくれ、最近は絵にも関心を持ち出した。私は本当に幸せ者」と話している。

■時代を追体験

 正子さんの自伝を「ジャパン・フォーカス」に紹介したブラウン大学名誉教授のスティーヴ・ラブソン氏(ワシントンDC沖縄会会員)の話 戦前、戦時、戦後初期の沖縄における極めて個人的な体験は、貧困に生まれ育った娘の目を通して、読者にいや応なしに激動の時代の歴史を経験させる。身売りと戦争という苦難を乗り越えた彼女の強さと、困難に対応する資質、回復力には驚嘆を覚える。