昨年発刊された沖縄県国頭(くにがみ)村史の史実検証に当たっている前村史編纂(へんさん)副委員長の宮城樹正さん(70)はこのほど、1967年に発刊された村史別冊に載った「辺戸の星窪(くぼ)」を検証した。

星窪を調べる(左から)宮城さん、平良平信さんの二女の崎浜峯子さん、辺土集落ガイドの平良太さん=国頭村辺戸

 村史によると、辺戸の海手の郊外に星窪と呼ばれる原野がある。局部陥没したような地形になっており、その低地に星田とよばれる二百坪(660平方メートル)ほどの水田があったという。古老の話によると、昔、大きな星が落ちてきて陥没させ、その低部に土砂が流れ込み、でき上がったのが星田だという。

 大正5、6年ころ、辺戸はサトウキビ作りが盛んになり、製糖様式も大がかりにしなければならなくなった。山谷という地形で最も困ったのが運搬。当時としては他に類を見ない鉄索運搬で山から山へ運搬した。

 区長2期、村議員1期を勤めたことのある平良平信氏(享年76)が語ったことでは、住民は川の本流支流を合わせて水を引き、その星田を含む星窪を自然の大貯水池のはけ口に水車を設け、水力を得て、製糖をしたという。

 宮城さんらは記録を基に現地に入ったが、草や大小の樹木で覆われて、確認できなかった。

 今回の検証で、80年に北国小5、6年生がまとめた「ふるさとめぐり報告書」に、現在宜名真に住む会社員の上原真澄さん(48)が同小5年生の時に星窪を調査した報告書が掲載されていたことが明らかになった。

 宮城さんは「上原さんの報告書は、これまでに最もよくまとめられた記録だ。具体的な数字で示され、実にわかりやすい。事実の解明に努めたい」と調査に感激した。(山城正二通信員)