「まだ東北で良かった」。東日本大震災の被害を巡るこの言葉を聴いたとき、「沖縄で良かった」「名護で良かった」「辺野古で良かった」「高江で良かった」と連鎖する言葉を想起した。言うまでもなくそれは米軍に提供される辺野古の新基地と高江のヘリパッド建設の事である。生活を脅かす嫌な「事柄」を避けたいのが人の世である。嫌な「事柄」が「余所(よそ)」であればそれを「黙認」し、平凡な日常を生きる術(すべ)を僕たちは知っている。さらに「当事者」を「忌避」する術も知っている。

大月書店・1620円

 長い前置きが必要なのは、本書が同名の映画の撮影記でありながら、「沖縄の価値観」との共生が全編に通底しているからだ。著者は放送局のキャスターとして、沖縄戦や基地問題、地域に残る古い文化などを取材してきた。そして、その過程で知った事や出会った人たちに大きな影響を受けてきた。

 序文の「手紙」は去年亡くなった辺野古の「嘉陽のおじい」に宛てたもので、20年に及ぶ時間の中で見つけた著者の原点が述べられている。原点は「沖縄戦」である。死体からにじみ出た血が混ざった泥水を飲み、屈辱の沖縄戦を生き延びた女性の体験に接した筆者は「島のお年寄りが抱えてきた癒えない悲しみと重い荷物を少しでも軽くすべく、テレビや映画のドキュメンタリーに取り組んできた」と言う。沖縄の歴史を問うて、聴いて、知ってしまった人間の責務を引き受けたのだ。

 本書では辺野古、高江の米軍基地建設への抵抗と宮古、八重山での自衛隊配備への異議申し立て、さらに映像に盛り込めなかった「nonの人たち」の背景と思いが詳細に伝えられている。全ての拒否からは、逃れられない「私の沖縄戦」や「命を育む母性」への責任、島がたどってきた「永い営み」への畏敬の念が浮かび上がる。

 撮影の日々を記しながら著者が問うているものは「何処かで起こっている事柄への想像力」だと思う。それは「当事者であろうとする覚悟」をも僕たちに求めている気がする。

 読了後の〈マレビトの「沖縄原理主義」にウチアタイ〉の気分は悪くない。(大盛伸二・映像ディレクター)

 みかみ・ちえ 1964年生まれ。ジャーナリスト、映画監督。沖縄国際大非常勤講師。95年から2014年まで琉球朝日放送でキャスター。映画「標的の村」(12年)がキネマ旬報文化映画部門1位など獲得。著書に「戦場ぬ止み-辺野古・高江からの祈り」など

風かたか 「標的の島」撮影記
三上智恵
大月書店
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