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  • 1957年、日本の求めに応じ本土からの海兵隊撤退を大統領が指示
  • 本土で反基地運動が高まり米側が岸政権に配慮した
  • グアム移転を模索する動きもあったが時間的余裕がなく沖縄へ

 沖縄が米施政権下だった1957年7月、日本本土で米軍に対する反発が強まったことを背景に当時のアイゼンハワー大統領が、日本政府の要求を受け入れる形で本土から陸軍戦闘兵力と海兵隊の撤退を指示していたことが13日までに、米公文書で明らかになった。米海兵隊は同年末までに静岡県のキャンプ富士から基地整備の進んでいた沖縄に移駐した。結果的に72年5月15日の沖縄返還を前に、本土から目の届きにくい沖縄に「基地を不可視化」した実情が浮かび上がる。(福元大輔)

メモに色付けした部分は、アイゼンハワー大統領が陸軍戦闘兵力と海兵隊の日本本土からの早期撤退を指示した内容。同大統領図書館から山本章子氏が入手

 大統領補佐官と国防次官補の電話会談のメモを、沖縄国際大学非常勤講師の山本章子氏(35)が米カンザス州のアイゼンハワー大統領図書館から入手した。

 補佐官が大統領の意向として最低でも陸軍第1機甲師団および海兵隊部隊を日本から遅滞なく移転することを次官補に伝えた内容が明記されている。

 山本氏の研究では、54年の第1次台湾海峡危機をきっかけに、ウィルソン国防長官が島嶼(とうしょ)地帯の防衛力強化を目的に海兵隊1個師団の沖縄配備を決定。その過程で、陸軍と海兵隊のどちらかを選ぶ際、地元の極東軍は陸軍を推したが、陸軍は兵力削減の対象だったため、最終的に海兵隊に決まった経緯を複数の史料をもとに明らかにしている。

 第1次台湾海峡危機は55年に収束。沖縄では56年以降、軍用地拡張に反対する大規模な住民運動「島ぐるみ闘争」が起きていた。米国防総省や統合参謀本部の上層部では用地取得の難しくなった沖縄ではなく、当時課題だったインドシナ有事に即応できるグアム移転を模索する動きがあった。

 そういった状況の中で57年1月、米軍の演習地内に不法侵入した日本人女性を米陸軍兵が射殺する「ジラード事件」が発生。米軍への批判が相次ぎ、国会で野党の追及を受けた岸信介政権は米軍の陸上兵力の撤退と自衛隊への移管を要求した。アイゼンハワー大統領は親米保守の岸政権への配慮もあり、陸上兵力の転出を決断した。

 山本氏は「軍部はグアム移転でも可能と見ていたが、岸政権が耐えられないと考えた大統領の鶴の一声で沖縄への早期移転が決まった」と指摘。「時間的余裕がなかったので、グアムを諦め、金武や辺野古で用地取得が済むなど受け入れ条件の整った沖縄に移転する以外の選択肢はなかったのだろう」と話した。