1942年10月から45年11月にかけて、米軍の魚雷や空爆などの犠牲になった沖縄関係の船舶は、学童疎開船「対馬丸」を含め26隻に上った。沈没地点は南西諸島周辺だけでなく旧南洋群島などに及び、少なくとも計4580人が亡くなった。米軍は日本と中国や南方をつなぐ輸送路を断つため、沖縄近海に潜水艦隊を配備。戦時中は民間船も陸海軍の徴用船として、兵員や軍事物資などを運んでいたため、軍民の区別なく標的になった。那覇市若狭には、対馬丸を除く赤城丸や湖南丸など25隻の犠牲者をまつった「海鳴りの像」が87年に建立されている。

除幕された「海鳴りの像」=1987年6月23日、那覇市若狭・旭ケ丘公園

除幕された「海鳴りの像」=1987年6月23日、那覇市若狭・旭ケ丘公園