首里城の地下約30メートルほどに沖縄師範学校の学徒や地域住民らを動員して掘られた全長約1キロの壕。空襲が激しくなった1945年3月、第32軍司令部が入った。五つの坑道で結ばれ、牛島満司令官や長勇参謀長のほか、総勢千人余の将兵と県出身の軍属・学徒隊、女性軍属や「慰安婦」が雑居。作戦室や無線室などの施設が完備され、トイレや浴室もあった。5月下旬には中部戦線の主力部隊が壊滅状態となり、司令部は5月27日、南部への本格撤退を開始。壕の主要部分と坑口は破壊された。周辺では、日本軍にスパイ視された住民の虐殺なども起きた。

第32軍司令部壕(県調査による)