台湾東部の村に暮らす人々に密着した日本のドキュメンタリー映画「台湾萬歳」(酒井充子監督)は、スクリーンいっぱいに広がる豊かな自然が印象に残る作品だ。カメラはその自然のなかで、伝統にのっとって狩りを行う先住民の背中を追い掛け、静寂と躍動がコントラストを刻む人々の日常を描き出す。海を泳ぐカジキに船から直接モリを打つ「突きん棒漁」にも密着し、沖縄と台湾のつながりも切り取った。

「台湾万歳」の上映会であいさつする張旺仔さん(右)。左は酒井充子監督=6月30日、台湾・台東市

 台湾から沖縄を訪れた観光客は2016年度に65万2千人となり、前年度を29・0%上回った。仕事で台湾人に接したり、街角で台湾人の姿を目にしたりするなど、台湾人は県民の間で当たり前の存在になっている。

 では、台湾とはどういうところなのか。この問いに、ひとつの答えを提示したのが本作だ。

 撮影の主な舞台は台東県成功鎮。日本統治期の1932年に整備された漁港が今も使われ、カジキなどを水揚げしている。酒井監督は日本統治期の台湾をテーマとしたドキュメンタリー映画の「台湾人生」(2009年)、「台湾アイデンティティー」(13年)で知られ、本作が三部作の完結編。台湾で目的地を決めずにドライブしていて、偶然に成功鎮に行き当たり、本作を撮ることを決めた。

 台湾の突きん棒漁は、日本統治期に日本本土の漁民が台湾にやってきて伝えた。当時は沖縄出身の漁民も数多く携わっている。台湾と沖縄の間では戦後もしばらくは人々が往来し、元漁民の張旺仔さん(86)はスクリーンのなかで「(戦後)2、3年間、私ね、沖縄人と一緒に魚捕りして、多少は覚えていますよ」と語った。

 張さんは突きん棒漁の様子を歌った歌も披露している。季節風が強まる冬場に漁の最盛期を迎えるため、「今日は北風突き船日和/表の鈴がねジャンジャン鳴らす」と始まる。この歌は、ほとんど同じように記憶している人が県内でも確認され、海を介した沖縄と台湾のつながりが垣間見える。

 張さんは台湾ではマジョリティーの漢民族だが、本作は先住民にも十分な尺を割いている。突きん棒漁に出るシーンはアミ族のオヤウさんとオヤウ・アコさんの夫婦が主人公だ。中学校の歴史教師でもあるブヌン族のシンガー・ソングライター、カトゥさんは、戦後になって大陸から台湾にやってきた人々の姿をオリジナルソングで歌う。

 本作は生業(なりわい)にいそしむ人々を淡々と追いながら、多民族社会としての台湾を描き出しているのだ。台湾は今、インドネシア人が介護分野の重要な担い手となるなど外国人労働者の存在抜きには成り立たなくなり、「多民族」や「多文化共生」といったワードはますます重視されている。本作の向こうには、台湾が抱える現在進行形のテーマさえも見据えることができるだろう。

 台湾ではこのところドキュメンタリー映画に勢いがある。植民地統治下の台湾で生まれた日本人の今を追った「湾生回家」(黄銘正監督、15年)はドキュメンタリー映画としては異例のロングヒットを記録。台湾の劇場は若い世代がシートを埋め、20代の日本女性は「台湾にこういう歴史があったことは知らなかった」と話した。

 八重山に暮らす台湾系の人たちの存在を台湾の人たちに知らしめたのは「海の彼方」(黄インイク監督、16年)だ。現在は石垣市内で暮らす台湾出身の玉木玉代さん(88)が主演し、この作品を見た台湾人のなかには玉木さんに会いたくて石垣島へ行ったという人がいるほどだ。

 一方、「台湾萬歳」を見る人たちは、スクリーンのなかに台湾を「発見」したり、台湾のなかにある日本や沖縄の存在に気付いたりしていく。「湾生回家」や「海の彼方」の観衆と同じように、台湾と日本、台湾と沖縄の結び付きに関心を向けていくわけだ。その意味で「台湾萬歳」は台湾ドキュメンタリーに対する日本からの応答と言えるかもしれない。(松田良孝台湾通信員)

◆10月8日、那覇でトークショー

 「台湾萬歳」は桜坂劇場で10月7日から公開される。8、9日には酒井監督の舞台あいさつがある。

 8日午後3時から桜坂劇場近く、那覇市牧志のカフェ「カラーズ」で台北駐日経済文化代表処那覇分処の蘇啓誠処長とノンフィクション作家の与那原恵氏が酒井監督とトークを行う。イベントは無料だが、飲食の注文が必要。問い合わせはカラーズ、電話098(927)6508。