父の祖国・日本の沖縄を初めて訪れたフィリピン残留2世の仲地リカルドさん(83)と岸本ヤス子さん(80)は、30日まで自身のルーツを訪ね歩く。26日の記者会見では戦争で父を失い、フィリピンで身の危険にさらされながら生きた人生を振り返った。

一時帰国会見で、笑顔を見せるフィリピン残留2世の岸本ヤス子さん(中央)、仲地リカルドさん(左)=26日、那覇空港国際線旅客ターミナル(下地広也撮影)

岸本ヤス子さんの父親(前列中央)ときょうだいらの写真

一時帰国会見で、笑顔を見せるフィリピン残留2世の岸本ヤス子さん(中央)、仲地リカルドさん(左)=26日、那覇空港国際線旅客ターミナル(下地広也撮影) 岸本ヤス子さんの父親(前列中央)ときょうだいらの写真

 「隠れて暮らさなければならなかった」

 那覇空港に到着後の記者会見。岸本さんは、戦後のフィリピンでの苦労を切実に語った。

 1937年、同国南部のサンボアンガ市で出生。父は名護市から17年に渡比した伊祐(いゆう)さんで、アイスクリーム店を営んでいた。41年、日本軍がフィリピンの占領を始めると伊祐さんは軍と行動。しかし敗戦で米軍の捕虜となり、消息不明となったままだ。

 戦後のフィリピンは反日感情が強く、岸本さんは母から「日本名は危険だから使うな」と言われた。ゲリラや日本軍の残留兵にも命を狙われ、「母は私を箱のようなものに隠した」こともあったという。お菓子作りで生計を立てた母はよく「戦争がなければよかったのに、と話していた」と振り返る。

 岸本さんは20代前半で結婚し、3人の子どもに恵まれた。昨年伊祐さんの渡航記録などが見つかり、6月に国籍を取得。最近、伊祐さんの弟がハワイにいることが分かり、27日に電話する予定だという。

 「父と母ともっと一緒に暮らしたかった。戦争は二度と繰り返してはいけません」と力を込めた。

 仲地さんは34年、フィリピンの離島・コロン島で生まれた。5歳で母を亡くし、父のヘイジロウさんが漁師として家計を支えたが戦中、ゲリラに捕まり殺害された。戦後は叔母に育てられ、漁師として働きながら27歳で高校を卒業。10人の子どもが2007年ごろから仲地さんのルーツ探しに協力し、3月に日本国籍を取得した。

 仲地さんは「多くの親族に会えることができて感謝でいっぱい。家族も授かり、神の恩恵だと思っています」と語った。