国の一県一紙の方針の下、沖縄朝日新聞、沖縄日報、琉球新報の3紙を統合。1940年12月から45年5月25日の解散まで、唯一の地元紙として沖縄戦のさなかも発行した。政府や軍部の代弁機関となり、積極的に戦意高揚の役割を担った。日米の激戦地だったガダルカナル島で、与那国島出身の大舛松市陸軍中尉(没後昇進)が戦死すると、武功が軍人最高の名誉とされた「上聞」(天皇への報告)に達した、と公表。「大舛大尉伝」と題した伝記を計136回にわたって掲載した。戦時中は沖縄師範学校生が利用した留魂壕でも制作。第32軍が南部撤退を決定した後に解散した。

戦時下で発行された沖縄新報

戦時下で発行された沖縄新報