沖縄戦で、沖縄本島中部で激戦が繰り広げられていた1945年4月から5月、戦禍が及んでいない南部での防衛召集を詳細に記録した資料を、関東学院大学の林博史教授と佐治暁人非常勤講師が見つけた。琉球政府が戦後まとめた「昭和20年4月以降における防衛召集事実資料 豊見城村 三和村 具志頭村 東風平村 兼城村」(県公文書館所蔵)。林教授は「今では聞くことができない、生き残った村長や区長からの聞き取り。部隊が直接、村に来るなど、きちんとした手はずを整えずに地元の部隊が勝手にやっていることが分かる」と指摘する。(編集委員・謝花直美)

「防衛召集事実資料」から三和村(摩文仁、真壁、喜屋武村)の召集の状況を説明した箇所(県公文書館蔵)

 資料は琉球政府社会局援護課が作成。島尻郡にいた第24師団(通称山部隊)による45年4月~5月の防衛召集について、村の兵事主任らから聞き取りした。 

 陸軍と海軍の防衛召集規則によると召集年齢は17歳から45歳。作成された名簿から人選し、氏名や部隊名を書いた「青紙」の召集令状で本人に通達した。

 しかし、島尻郡の召集では、対象でない年齢が含まれ、通達も令状なしという場合がほとんどだ。林教授は「法はあるが、実際には法の手続きを無視した強引な方法で防衛召集がなされたことが分かる」と指摘する。

 歩兵第32連隊が召集した兼城村・高嶺村・糸満町では、「地勢に詳しい遊撃戦」の要員として「3月の防召から漏れた者、年齢16歳以上、52歳迄の者」と年齢幅が広げられた。4月18日と5月16日に区長らが口頭で220人を召集した。

 摩文仁村・喜屋武村・真壁村では4月18日と20日に、名簿を元に区長が口頭で指名、令状なしに70人を召集。「満16歳より、満50歳までの青壮年」と最高年齢を5歳引き上げた。

 東風平村では同月26日に200人が召集された。輜重(しちょう)兵第24連隊の大尉が村長に名簿作りを命令。首里などの避難民2割を含め500~600人が記載された。対象は「男子15歳以上17歳未満及び45歳以上55歳までの者」。壕を訪れた曹長が呼び出し、「良いといった者」に召集令状を渡した。

 具志頭村では5月上旬に、下士官と軍医が村長らを連れ壕を巡り、氏名を調べ名簿を作成。5月16日と18日に120人を召集した。

 【ことば】防衛隊と防衛召集 沖縄戦時、沖縄本島と渡嘉敷島、座間味島で約2万2千人が(1)43年6月(2)44年10月~翌2月(3)45年3月(4)同4~5月の4次にわたり召集された。「防衛隊」と呼ばれ、陣地構築や物資運搬などに従事。約1万3千人が戦死した。